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ホロコースト記念館館長 吉田明生さんにインタビュー

ホロコースト記念館にこめられた思いを、館長の吉田明生(よしだ あきお)さんに聞きました。
開館のきっかけはひとつの出会い
ホロコースト記念館を御幸町に開いたきっかけを教えてください。
吉田(敬称略)
ホロコースト記念館は、1971年に初代館長の大塚がアンネの父、オットー・フランクさんに会ったことに由来します。オットー・フランクさんはアンネの隠れ家メンバーの唯一の生存者です。
大塚は、所属していた合唱団の親善旅行でイスラエルを訪問し、同じく旅行中だったフランクさんと偶然出会いました。

「わたしの娘の書いた日記を読んだことがありますか?わたしはアンネの父、オットー・フランクです」
フランクさんはそう声をかけてきてくれたそうです。それをきっかけに、フランクさんと合唱団のメンバーは何度も手紙での交流を重ねました。1972年には「アンネの形見のバラ」を送っていただきました。
フランクさんは1980年に91歳で亡くなりますが、出会えたことと、その後9年間の交流は奇跡だったと思います。

フランクさんにはバラのほかにもご家族の写真を送ってくださいました。送っていただいた写真をもとに、大塚が牧師を勤めていた御幸町の教会で「アンネ・フランク展」をおこなったところ、4日間で2,400名の来場者があったのです。
そのことが契機となり、戦後50年の節目に当たる1995年、教会内に日本初となるホロコーストの教育施設、ホロコースト記念館が開設されることになりました。
2007年には教会の近くに新館を建て、変わらず御幸町で活動しています。
大塚理事長はキリスト教の牧師だったのですね。宗教の違うユダヤ人のかたがたに関する展示をすることに抵抗はなかったのでしょうか?
吉田
フランクさんは、「平和をつくりだすために、何かをする人になってください」という言葉を残しています。
出会いのきっかけや開館場所こそキリスト教が関係していましたが、大塚はアンネ・フランクをはじめとするホロコーストの悲劇を、子どもたちをはじめ多くの人に知ってもらいたいと願いました。
犠牲となった600万人、うち150万人の子どもたち。言葉にしてしまえばただの数字になってしまう。その600万、150万の一人ひとりに名前や夢、人生があったのだと知ってほしい。学ぶきっかけのひとつになれば良い。
ホロコースト記念館は平和教育施設です。記念館ではキリスト教のことは語らず、ただ、ホロコーストという出来事と平和の大切さを伝えるようにしています。

とにかく考えてもらう
ホロコーストの悲劇を子どもたちに伝える上で、大切にしていることはありますか?
吉田
子どもたちには、とにかく考えてもらうことを大切にしています。

たとえば、このワルシャワ・ゲットー(ポーランド)に隠れていた女性と男の子がナチスに連行される写真を見てもらいます。銃を後ろから突きつけられた男の子の顔から「このとき、この子はどういう気持ちだっただろう」と想像してもらう。
写真を見て、「かわいそうだな」で終わるのではなく、一歩踏みこんで考えてもらうようにしています。想像してもらうことで近くに感じてもらえる、自分に関わりのあることだと認識してもらえる。こういう子どもたちがいたのだと、覚えておいてもらえると思っています。

ほかにもアンネの部屋を見せ、ここで思春期のアンネが50代の知人男性と一緒に部屋を使っていたことを伝える。すると子どもたちはよく、「ええー、いやだー」と言います。それでも、隠れ家のアンネには、嫌だと言うことも許されない。これは本で学んだだけでは伝わりにくい。この小さな空間に入ってみて初めて、アンネの苦しみをより近くに感じてもらえます。
子どもたちに一番見てほしい展示は何ですか?

吉田
記念室に収められた小さなくつです。このくつが、ホロコースト記念館の中心的な遺品となっています。これはポーランドのマイダネク収容所に残されていました。15cmの小さなくつを見て、「この子は何歳だっただろう」「どんな子だっただろう」と想像してもらう。
くつの下にあるのはアウシュビッツ博物館から送られた木筒です。なかにはアウシュビッツ収容所で銃殺が頻繁におこなわれ、数万人のユダヤ人が命を落とした「恐れの壁」の土と遺骨が収められています。

くつの上のステンドグラスは、子どもたちの魂が天に昇っていくイメージで作成されたものです。記念室では、改めてホロコーストのこと、犠牲になった子どもたちのことを考えてもらっています。
こんなものではないという意見
ホロコースト記念館を運営する上で、とくに気をつけていることを教えてください。
吉田
記念館の展示は開館以来、一貫して「怖すぎない」展示を心がけています。ホロコーストの写真のなかには遺体や人体実験の跡など、とてもいたましいものもあります。見ていただけるとわかるのですが、記念館にはそのようないたましい写真は展示していません。子どもたちの感情が、「怖い」だけで終わってしまうことを防ぐためです。

この記念館は、子どもたちが初めてホロコーストに触れるための施設です。子どもたちが「ホロコーストについてもっと知りたい」と思ったとき、あるいは大人になったときに、本当のホロコーストを自分で調べてほしいと思っています。
来館者からの反応はどうですか?
吉田
ホロコースト記念館に来る人のなかには、ほかの人からすすめられて訪問する人がよくあります。学校の先生も「ぜひ子どもたちにも伝えたい」と生徒さんを連れてきてくれる。あるいは、子どものころに見学に来た人が、大人になって再び訪れてくれる。それが答えになっていると思います。

また、ホロコースト生還者からは、「ホロコーストはこんな生やさしいものではなかった」と言われることもありました。ですが同時に、「子どもたちが初めてホロコーストの悲劇を知るためには素晴らしい施設だ」との声もいただいています。
ホロコーストをただ怖いもので終わらせず、伝えていく。それは、今後も守り続けていきたいと思います。
未来を担う子どもたちに知ってほしい
子どもたちに期待することはなんでしょうか?
吉田
ホロコーストの根幹にあったのは差別や偏見です。子どもたちも人間である以上、好き嫌いであるとか、いじめであるとかが起こってきます。そういうものがエスカレートしていったら、どういうことが起こるのか。ホロコーストという負の歴史から学んでほしい。
こんな悲しいことを二度と起こさないために、自分には何ができるだろうか、考えるきっかけにしてもらえたらいいですね。
そして、フランクさんの言う通り「平和をつくりだすために何かをする人になってほしい」、そう思います。

ホロコースト記念館の今後の目標を教えてください。
吉田
ホロコーストで亡くなった子どもたちと同じ数、つまり150万人に記念館を訪れて、ホロコーストについて知ってもらうことです。現在の来館者数は20万4千人ほどなので、まだまだ先は長いと思います。
しかし、記念館を通してホロコーストを知った子どもたちが、
「この悲劇を伝えるためにはどうすれば良いか」
「自分には何ができるのか」
考え、行動を始めているのです。
先は長いですが、必ず実現できると信じています。

負の歴史を知り、平和をつくりだす

2階展示室の前には、ユダヤ人にとって神聖な言葉であるヘブライ語で「忘れないで」と書かれています。
ホロコースト記念館は、悲劇をくり返さないため、今後も悲しみの記憶の継承を続けていきます。
記念館の合い言葉は「平和をつくりだそう、小さな手で」。合い言葉をもとに子どもたちは差別や偏見のもたらす悲しみを知り、平和への思いをつないでいってくれることでしょう。
ホロコースト記念館のデータ

名前 | ホロコースト記念館 |
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所在地 | 広島県福山市御幸町中津原815 |
電話番号 | 084-955-8001 |
駐車場 | あり 10台分 第二駐車場 50台分 |
開館時間 | 午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで) |
休館日 | 月、日、祝日 8月13日~16日・12月27日~翌1月5日は休館 |
入館料(税込) | 入場無料 |
支払い方法 | |
予約について | 可 団体の方はご予約ください |
タバコ | |
トイレ | バリアフリートイレ |
子育て | |
バリアフリー | エレベーター |
ホームページ | ホロコースト記念館 |