「ジャパンブルー」。
明治の始めに来日した外国人は、町が藍色に彩られている様子をこう表現したそうです。日本を象徴する青い色は「藍」の葉から生まれます。
THE TERROIRは、藍の栽培から蒅(すくも。藍の葉を乾燥・発酵させた染料)作り、そして染色、製品までを一貫して手掛ける工房です。通常、藍染の世界は分業制で、蒅を作る「藍師」と染色する「染師」に分かれています。一貫して行う工房は全国でも数えるほどしかありません。
代表の藤井健太さんは、なぜこの道を選んだのでしょうか。
記載されている内容は、2026年10月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
藍と歩む1年
「藍染は農業です」と語る藤井さんは、福山市山野町の畑で藍を栽培し、年間およそ1tの蒅(すくも)を製造しています。世界中で藍染めに利用する植物には、いくつかの種類があります。日本で利用されているのは「タデアイ」というタデ科の植物です。
冬の間は畑の土を作り、3月頃から時期をずらして種をまきます。

1カ月ほど育てた苗を、畑に植え付けます。

「全ての作業のうち、最も大切なのは畑での栽培ですね」と藤井さんは言いました。藍の色素を含む葉をどれだけ良いものに育てられるか、また、どれだけ収量を確保できるかが、藍染の出来を左右するのです。


夏になると収穫が始まります。刈り取った葉はすぐに選別し、天日で乾燥させます。





葉の乾燥が終わると、蒅作りのスタートです。乾燥した葉を山積みにし、水と酸素を与えて発酵させます。

週に一度行う「切り返し」は、発酵を進めるための重要な作業です。こうして18週間かけて発酵させ、ようやく蒅が出来上がります。



蒅から染液を仕立てる作業が「藍建て」です。蒅に灰汁や石灰を加えてアルカリ性にし、ふすま(小麦の皮)を与えると、「藍菌」と呼ばれる複数の微生物が活動を始めます。その働きによって、蒅から「インディゴ」という色素が水に溶け出していきます。1週間から10日ほどで、染液の出来上がりです。



微生物の栄養がなくなると色がつかなくなるため、週に2回、染液にふすまを加えます。「元気がなくなってきたな」と感じる時には、日本酒を入れることもあるそうです。
藍との出会い
福山で生まれた藤井さんは、大阪の大学を卒業後、福山に戻り、求人広告の営業の仕事に就きました。入社して2~3年で支局長を任されるようになると、会社の仕事の全体が見えてくると同時に、将来への漠然とした不安も感じるようになります。仕事でさまざまな企業を回って経営者と話をするうち、独立への思いが強まりました。
「とはいえ、自分には会社を経営するための知識もスキルもありません。それなら、手に職をつけようと思ったんです」と藤井さんは振り返ります。

その頃、東広島市を訪れた藤井さんは、賀茂泉酒造の藍泉館で藍染を体験しました。
「きれいだなと、シンプルに感動しました。それでなんだかスイッチが入ってしまって。毎週のように、シャツや靴など、染めたいものを持っていっているうちに、『次の週末に液を仕込むから見に来る?』『手伝ってくれる?』と声をかけてもらうようになったんです」
藍への興味を強めた藤井さんは、徳島県で江戸時代から続いている新居製藍所へも行きました。
初めて訪れたのは、畑での作業がある6月頃でした。しかし、雨が降っていて作業ができず、少し話をしただけで帰ったそうです。その後も何度か足を運び、畑の作業や蒅作りを見学しました。
「藍をやろう」と心を決めた藤井さんを思いとどまらせようとしたのは、後に師匠となる新居修(にい おさむ)さん、ただ一人でした。
「『仕事を辞めて、そっちで勉強させてもらいたいんです。お願いします』という僕に、『ちゃんとした仕事があるならそっちの方がいい、藍は厳しいし、お金にしていくのも大変だぞ』と新居さんは言ってくれました。でも、もう会社にも藍をやりますって言ってしまって」(藤井さん)
26歳の6月からおよそ2年間、藤井さんは徳島で藍の栽培と蒅作りを学びました。辞める前の1~2カ月ほどは染屋にも通い、液の仕込み方を学んで徳島を後にします。
藍屋テロワールの始まり

2019年、福山に戻ってきた藤井さんは、後に妻となる女性の親戚の紹介で山野町に畑と家を借りました。畑を耕して藍を植え、藍屋テロワールを立ち上げます。
「当時はあまり深く考えていなかったんですが、実は蒅を作って売っても、商売にならないんです。1kgの蒅の価格は2,000円なので、その年300kg作れたとしても60万円。計算してみて初めて、年間の売り上げがこれではやっていけないなと思いました。最初の年ですから、手元には蒅もありません。
そのうちに、徳島の先輩が岡山で藍染ワークショップを開いたんです。『この液、要るなら持って帰っていいよ』と言われ、藍染液をタンクに一杯分もらって帰りました。そして、その液を元に、染めを始めました。
すると、近所の人たちが『ちょっとこれ染めてみてくれんか』『友達を連れていくから、藍染体験をさせてくれんか』と声をかけてくれるようになって。そんなふうに、手探りで始まったんです。
始めの数年間はほとんど収入がなく、妻に生活を支えてもらっていました。状況が変わり始めたのは『藍染のデニムを作りたい』と訪ねてきた若い人を雇った頃からです。
仕事を作らないといけないから、ブランドを立ち上げて製品を作って売ってみたり、SNSの発信を頑張ってみたりし始めました」(藤井さん)



最近では、染色委託の仕事が7割を占めるようになりました。
「木のスツールや洋服、靴など、さまざまな依頼を受けています。藍染体験やワークショップも続けています。今は、蒅の販売はまったくしていません。藍を作って染めて売るところに、時間をかけていこうと思っているんです」(藤井さん)


海外でのワークショップ
最近では、海外でのワークショップも増えています。
「2025年から、海外に行く機会をいただいています。ドイツのベルリンでの展示会には、さまざまなつながりを通じて、うちの活動を見に来てくださった方から招待され、2年続けて参加しました。韓国でのワークショップも、福山で縫製を学んだ方が韓国でブランドを立ち上げた時に呼んでもらったものです。台湾とカナダにも行きました。
藍染に限らず、海外では日本のものづくりに対する興味や関心、敬意があります。藍自体は世界中にありましたが、欧米では産業化に押され、現在はほとんど残っていません。東南アジアやインド、アフリカには残っているものの、先進国でありながら残している日本の藍に対する関心は、高まっているように感じます」(藤井さん)
2026年6月に「THE TERROIR(ザ・テロワール)」にリブランディングし、英語表記も添えたのは、今後の海外展開を見据えてのことです。
「とはいえ、海外へ行っても、まだそれほど仕事につながっているわけではありません。それでも、確実につながりは増えてきています」(藤井さん)



山野のテロワールを藍の色に
「テロワール」とは、風土のことです。その場所の土や水、空気、気候、歴史や文化、そして人々を含みます。THE TERROIRの藍の色は、土地のさまざまな条件が重なり合って生まれています。
「2025年からは、山野峡大田ワイナリーと一緒にインターンシップの受け入れも始めています。昨年は8人、今年は9人の学生が山野を訪れました。そのうち1人は、アメリカ在住の日本人高校生です。僕がカナダに行くことを知らせたらバンクーバーまで来て通訳もしてくれて、すごく助かりました。
まだ実際の就職につながってはいないのですが、ぶどうの収穫のタイミングで山野に来てくれたり、イベント出店した時に顔を出してくれたりと、ここで1回体験するだけではない、2回目、3回目のつながりができてきています。彼らにとって山野という場所が、縁のある場所になってきていると感じています」(藤井さん)

安く大量に染められる化学染料が主流となる中、藤井さんは、伝統的な藍染をどのように未来に残していくかを考えていると語りました。
「やっぱり藍染自体が持っている力というか、藍染が人を魅了するんですよね。だからこそ、海外へも呼んでもらえるし、人が集まってくる。
原料となる藍の生産自体が減っている中で、自ら藍を栽培し安定して材料を供給できていること、そしてそこから藍染でお金に変えられていることが、THE TERROIRの強みです。これまで8年、なんとかここで続けてきました。これからの5年、10年もきっと、藍が人を呼び寄せて、つながりが広がっていくのではないかと思っています」
藍の色は、土に育まれ、微生物の働きで発酵し、さらに別の微生物によって引き出されて生まれます。「のらりくらりやってきた」と語る藤井さんがまとう自然な空気を、藍が選んだのかもしれません。
























