近年「地域遺産」の発掘活動が、歴史・文化や伝統行事、ランドマークとなる建築、自然などを通じて幅広くおこなわれています。
広島県福山市の北部郊外、神辺町でも、1年前から住民を中心に地域遺産を構想し、検討を重ねてきました。
そしてこのたび「神辺遺産」として、第1回認定物件の3件が決まり、晴れて認定の運びに。
1年という短期間に、地域遺産をめぐる動きに何が起こり、これからどのような変化が期待できるのでしょうか。
それでは、有形無形の神辺遺産が未来に向けて映し出した、旧山陽道・神辺宿をたずねてみましょう。
記載されている内容は、2023年12月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
目次
第6回地域遺産フォーラム in 神辺
2023年11月18日、福山市神辺町の神辺交流館で、第6回地域遺産フォーラム in 神辺が開かれました。
同年10月に自治体、住民らが独自に認定した「神辺遺産」をテーマに据えたフォーラムは、専門家や住民による講演がおもな内容です。
今回選ばれた3件の神辺遺産について、全国の地域遺産の事例を通して、地域の宝を守り、伝える手法を共有する講座に参加者は熱心に聞きいっていました。
午後からは「旧菅波邸Café anjin(カフェあんじん)」に会場を移し、ワークショップを開催。専門家や住民との意見交換の場も設けられました。
本陣・廉塾とともに発展した「神辺宿」の略歴
神辺宿は黄葉山と高屋川に挟まれた、旧山陽道の山沿いにあり、今なおその面影を残している地域。
神辺城が築かれていた黄葉山の西と北側を囲むようにように、七日市から三日市、そして十日市へと屈曲した町並みが特徴的です。
神辺城廃城後の1619年、水野勝成(みずの かつなり)は神辺に入封し、1622年には備後の南、野上村に福山城を築城します。
城下町であった神辺は、幕府の参勤交代制により、城下町の形態を残しながら宿場町へと転換。
神辺本陣と宿駅内の廉塾に多くの文人墨客が訪れ、交流をもたらしました。
そうしたことから福山藩の文化や教育を支える要衝、宿駅となったのです。
明治時代になると、繊維の町へ変容しますが、大きな開発はおこなわれませんでした。
そのため今なお、歴史的なまちなみや建造物を残すなど、歴史・文化の面影を温存し続けているのです。
有形無形の魅力がそろった「神辺遺産」
第6回地域遺産フォーラム in 神辺では、「神辺遺産」の第一弾となる、以下のラインナップを発表。
「天別豊姫神社(あまわけ とよひめ)」「ハネ踊り」「旧菅波邸Café anjin」の3件を認定しました。
2023年10月、認定に当たったのは、神辺学区まちづくり推進委員会、学区自治会連合会、神辺宿文化研究会の代表者3名からなる認定委員会。
古(いにしえ)から地域を見守ってきた神社、住民の連携で継承される集団舞踊、当世風リノベーションで近世の建築を今に伝えるカフェ&イベントスペース。
いずれも、令和の神辺宿に欠くことのできないものばかりです。
地域遺産とは?
福山大学工学部建築学科教授の佐藤圭一(さとう けいいち)さんは、地域遺産を「有形無形を問わず、地域の人々が守り、後世に伝えたい地域の至宝(暫定規定)」と定義しています。
その保全・継承には地域自らの遺したいという意思と、地域の自発・自律的な保全活動、またその継承を担保するための、中核人物の存在するコミュニティが必要不可欠であるということです。
神辺遺産認定委員会の提言
神辺遺産認定委員会は、神辺宿の特長として、以下を挙げています。
- 城下町と宿場町の特性を併せ持っている。
- 街道沿いに神辺本陣、簾塾および菅茶山旧宅という歴史的遺産がある。
- 宿場裏、黄葉山背後にも、時代時代の歴史遺産が生活空間に一体化して残っている。
それらは文化財の指定を受けずとも、「神辺遺産」と呼ぶに相応しい至宝。
神社仏閣、行事や自然・景観等々、有形無形を問わず、個々の歴史遺産が一体化した地域を地域遺産として規定すると提言しています。
近世レトロの建物空間「旧菅波邸Café anjin」
築200年と推定される古民家を改修した、旧菅波邸Café anjin(以下:カフェあんじん)。
2023年10月のオープン以来、地域住民らの交流や情報発信の拠点をになっています。
カフェの規模は、約70平方mの土間に6畳と8畳の2間に加え、テラス席や縁側席など合わせて約40席を配置。
6畳と8畳の続き二間の和室は、予約制のレンタルスペースとして時間貸しに応じています。
提供される食事はエシカル消費の観点に立ち、地域食材を中心とした身体に良いメニューが特徴です。
設えや装飾にも、オーナー藤近さんの高い感性が惜しげもなく注がれています。
広い縁側から南方を見上げると神辺城址があり、月の美しい夜は絶好のロケーションが立ちあらわれるのだとか。
季節や時間帯(モーニング、ランチ、ティータイム)によって、提供されるサービスに工夫がこらされ、いつ、誰と行くかなど、過ごし方のバリエーションが広がりそうです。
高所より神辺宿を見護る「天別豊姫神社」
JR福塩線・神辺駅から徒歩10分ほどの、黄葉山に鎮座する天別豊姫神社。
神辺城が築かれたとされる1335年頃、備後国守護職によって、天下泰平を願い、城址のある黄葉山の中腹に移したとされる神辺最古級の神社です。
豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)、素戔嗚尊(スサノオノミコト)、事代主命(コトシロヌシノミコト)。三神を祭神とし、家内安全・交通安全・安産祈願などにご利益があります。
七五三や初詣、祭りなど、人生の節目を見守り、地域住民の心のよりどころとして親しまれてきました。
ときに「いちょう神社」と呼ばれるのは、樹齢280年の大イチョウに因るもので、晩秋に黄葉した神木はまさに見ものです。
勇壮な踊りが人々をむすぶ「ハネ踊り」
ハネ踊りの起源は、福山藩初代藩主・水野勝成の奨励にあるとされます。
神辺町の各地域に伝えられる、ハネ踊りのひとつに数えられ、戦後に五穀豊穣、無病息災を願って踊られるようになりました。
ハネ踊りの継承は2つの保存会、三日市上・後町と早王が担い、毎秋、豊姫神社に舞踊が奉納されます。
地域遺産の研究者 山川志典さんの講演
文化遺産の遺し方や民具、伝説の研究に携わる、早稲田大学リサーチイノベーションセンター次席研究員の山川志典(やまかわ ゆきのり)さん。
山川さんが調査する上で定義する地域遺産とは、「地域社会(行政と住民)により遺すべきと判断された有形・無形の文化や自然物」といいます。
地域遺産を見つけるヒントとその課題について、ここで共有できればと思います。
民俗学の視点から
民間伝承の学といわれる民俗学。
それは自然や人同士の関係から、普通の人々が伝えてきたものは何か。どのように暮らし、伝えてきたか、その思いや考えに視点を起きます。
取るに足らないことにこそ、人や暮らしのありようがみられるのです。
大切なのは、小さな物語への眼差し。日々の日常にあり、愛おしく感じられる存在を訪ね、歩き、見る、聞く。
神辺ではそれが可能な場所。気づきの源泉といえるのではないでしょうか。
文化遺産学の視点から
地域に遺っているものは、災害や近代化に淘汰されることなく、今まで存在し続けてきたもの。
また今後に遺すのか否か、その岐路にあるともいえます。
過去には加工された部分もあるなかで、時を重ねて馴染み、当たり前とされ、しっくり感じさせる実体を読み解くことが大事。
今までとこれからの間を、何度も問い直すなかで見つけられるものがあるはずです。
地域遺産の現状と課題
地域遺産の選定は身近な対象を捉え直し、文化遺産と呼ばれるもの以外に、遺産を伝えていくことを見直す契機となっています。
その一方で、発見、共有される地域遺産の具体的な継承については、試行錯誤が続く状況です。
継承のために、所有者の負担にならない遺し方が求められています。
何を大切にしているのか、その価値をどのように伝えられるのか。過去から未来へのバトンリレーのなかで、問いかけなければならないのです。
おわりに
福山市街が空洞化する一方で、神辺はモータリゼーションの利便性に応じて注目を集めてきましたが、神辺宿周辺までその注目がおよぶことはあまりありませんでした。
歴史が刻まれた地層のように眠ったままの神辺宿を掘り起こして利活用しようにも、手がかりとなる情報が目を惹くものでなかったからなのかもしれません。
神辺遺産がある神辺宿は、近世に栄えていた限定的なエリアに過ぎず、実際の神辺町はずっと広域です。
しかし神辺宿は福山発祥の源流ともいえる場で、備後地域の再評価の起点としても、好適地なのではないでしょうか。
今秋オープンしたカフェ あんじんは、木材の持つ温度感や作り手のこだわり、住まう者への心遣いが感じられ、地域の生活と調和した古くからの暮らしをいまに伝えています。
あんじんを拠点に、季節の変化を味わいながら神辺遺産や簾塾、神辺本陣を気ままに周遊し、シン・神辺宿の輪郭線を描いてみませんか。
第6回地域遺産フォーラム in神辺のデータ
名前 | 第6回地域遺産フォーラム in神辺 |
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期日 | 第1部 シンポジウム(神辺交流館)10:00〜12:30 第2部 総合ディスカッション(カフェあんじん)14:00〜19:00 |
場所 | 広島県福山市神辺町川南3199 |
参加費用(税込) | |
ホームページ | Café anjin カフェあんじん 福山市神辺の古民家カフェ |