3代目海苔師、兼田寿敏さんにインタビュー
おいしいのりを作るためのこだわりなどについて、マルコ水産の営業部長、3代目海苔師(のりし)の兼田寿敏(かねだ ひさとし)さんにお話を聞きました。
のりは毎年一年生
のりの生産から製品化、販売までを一貫して手掛けるのですか。
兼田(敬称略)
そうです。たいていの海産物は、水揚げした姿で流通していくものですが、のりは違います。生産者が工場を持って、工場で乾燥して製品にまでするのです。
だから旨いのりを作ろうと思ったら、大事なポイントが山のようにあります。
どんな品種を選ぶかに始まり、胞子つけの技術、育苗の技術、のりを育てる技術、収穫後に工場で乾燥させる技術。すべてがそろっていないと旨いのりはできませんし、どこかで失敗したらやり直せません。
そのなかでも、私たちが一番大切にしているのは育苗です。小さいときにどれだけ手をかけるかで、のりの味が決まります。
それで、毎日顕微鏡でのりの細胞を観察するのですね。
兼田
育苗のなかでも一番神経を使う日が、発芽から6日目です。胞子から発芽したのりは毎日細胞分裂を繰り返して、細胞の数を2つ・4つ・8つと増やしていくのですが、それまでひとつの方向にだけ伸びていたのりは、6日目を迎えると初めて縦方向に細胞分裂します。大きなストレスがかかるのか、この日がのりの一生のなかで一番弱い日です。
兼田
この日にいつもと同じように干すと、のりは死んでしまいます。ですから、マルコ水産では6日目は基本的に干さないようにしています。
6日目にのりを干さなくてもいいようにするためには、このときまでに網に余計なものがついていない状態にしておかないといけません。つまり、ここから逆算して、網をどういう状態に持っていくかを考えながら育苗をしています。
しかし、のり作りのチャンスは年に1回だけです。毎年天気も違うし、海水温も湿度も違う。ですから、毎日同じ時間だけ乾かせば良いというわけにはいきません。付着しているものの量によっても、干すべき時間は変わります。私たちはのりの状態を見極めながら、そのときのベストのタイミングで網を干しています。
祖父 兼田四郎(かねだ しろう)の代から始めたマルコ水産は60年の歴史がありますが、たった60回ののり作りの経験しかない。私の父である社長の兼田敏信(かねだ としのぶ)は40年やっていますが、40回しかのりを作っていないんです。私は家業を継いでまだ6年。わずか6回の経験のなかで、何が大切なことなのかを掴まなければ、のりを作れません。
私たちは「のりは毎年一年生」といっています。毎年初めてのことばかり経験しながら、なぜそうするのか?を考えて作業しています。考えながらやらなければ、無駄な時間が過ぎるからです。
一番のり、二番のりとは?
のりを作るのにそこまで手がかかるとは、恥ずかしながらまったく知りませんでした。これからは、大切にのりを味わいます。ところで「一番のり」が風味がよいとのことですが、二番のりや三番のりもあるのですか。
兼田
はい。のりというのは、不思議な生き物で、一番弱い6日目を過ぎるとあるとき細胞の先端をピッと切って、胞子のように飛ばすんです。そしてこの飛んだ細胞がまた網につく。これが二次芽です。そしてこれがまた育ったらピッと細胞を飛ばし、三次芽、四次芽ができます。
兼田
最初に芽を出した親芽が葉を伸ばして光合成をしている間、二次芽は親芽の葉のかげに隠れていますが、最初の収穫をすると二次芽にも光が当たるようになって葉が伸びてきます。これがニ番のりです。
ですから、うまく二次芽、三次芽をつけられると、シーズン中何度も収穫できるのですね。
そして、段階的に芽がつくためには、二次芽や三次芽が付着できるスペースが網にないとだめなんです。
だから、最初に胞子を網につけるときに、つけすぎないように気を配るのですね。なるほど!
兼田
ただ、一番のりはやわらかくておいしいのですが、水分を多く含むので乾燥が難しいんです。そしてぴかぴか光る、きれいなのりに加工しにくい。ですから、ぴかぴかに光るのりを作るために、親芽をわざと枯らして二次芽から育てるという考えもあります。
けれども、海苔屋の私たちが消費者のためにできることは、一番おいしいのりを食べてもらうことです。のりってこんなにおいしいんだよと伝えるために、私たちは大切に一番のりを育てています。
だからマルコ水産ののりは、おいしいのですね。
マルコ水産の今昔
おじいさんの代から60年のりを作っているとのことでしたが。
兼田
うちがのりの養殖を始めるきっかけになったのは、水呑町の海苔師です。埋め立ての前、水呑は遠浅の海で、のりをたくさん作っていました。水呑から有明海まで養殖技術の指導に行っていたくらいの、大産地だったんですよ。
祖父は戦時中に満州でその水呑の海苔師と一緒になり、戦後に田島でもできるのではないかと技術を教わりました。それが、田島ののり養殖の始まりです。
水呑でおこなわれていたのは、浜に支柱を立てて網を張る、支柱式の養殖です。潮の満ち引きによって、自然に網が海水に浸かったり出たりするんですよ。
しかし、埋め立てによって支柱が打てるような海がなくなりました。それでのり養殖をやめた人も多かったそうです。
今、田島では、深さのある海で錨(いかり)を使い、網を固定してのりを養殖する浮き流し式をとっています。田島は昔から定置網漁が盛んなところなのですが、その定置網で発達した技術を応用しています。
漁網作りも定置網も、田島にはすごい技術があった、だから今もその技術を使ってのりを養殖できるのです。
いろいろな要素が重なって、今ののり作りがあるのですね。ところで、のりは分類学的にいうと紅藻類、アマノリ類の生物ですよね。生物種でいうと「アサクサノリ」だと思っていたのですが。
兼田
昔はアサクサノリを養殖していたのですが、現在は「スサビノリ」が主流になっています。また、そのスサビノリのなかにも、やわらかくて細いものとか、少し固めで成長が早いとか遅いとか、さまざまな品種があります。
のりの色の違いも、品種の違いですか。
兼田
品種によっても多少は色が違いますが、のりの色を決める大きな要因は海水中の栄養塩、とくに窒素です。栄養豊富な海で育ったのりは黒っぽいいい色になりますが、栄養が足りないと本来つくはずの色がつきません。
実は近年、海の栄養が不足していて、いい色をしたのりが採れる期間がどんどん短くなっています。それだけではありません。チヌ(クロダイ)による食害も深刻です。2023年、2024年と顕著に影響が出てきています。
えっ、チヌがのりを食べるのですか。
兼田
はい。チヌは昔からずっとこの辺りにいる魚ですが、今までこれほどの食害はありませんでした。これまで磯には海藻が生えている「藻場(もば)」がありました。藻場はさまざまな生き物のすみかにもなり、餌にも、産卵の場にもなります。光合成をして二酸化炭素を吸収する役割も担っています。チヌはこの海藻を食べていたのです。
しかし、最近この藻場が消えている。海の生態系が変わっています。餌がなくなったチヌが、のりを食べにくるようになりました。
チヌを避けるための専用の道具を父が発明し、商品化もしてきました。それでなんとか回避できていたのですが、今はこの道具を使ってもチヌが来ます。
漁場によっては、チヌにのりを食べ尽くされてしまい、1枚ののりも作れないほどです。
のりを守るために、今は1日中、船で網の周りを回って、チヌを追い払っています。大変なコストですが、そうしないとのりが採れないのです。
驚きました。海の環境がそれほど変わっているとは。
兼田
毎日海に出ている私たちは、海の変化を肌で感じています。温暖化によって北上してきた「アイゴ」という魚が海藻を食べ尽くしていることが、藻場消失の原因ではないかと仮説を立てています。今は自分たちでできる食害対策に手を尽くしつつ、関係各所に相談したり有識者に見解をたずねたりして、新たな対策を講じようとしているところです。
のりを守り、田島の漁業を守るためには、海の環境の変化をなんとか食い止めなければいけません。そのためには、できるだけたくさんの人で考える必要があります。
それで、私たちは「マルコ新聞」を発行して、お客様に届けています。まずはのりと田島の環境に関心を寄せてくれる人を増やしたいのです。
おいしいのりを未来に残すために
マルコ水産のおいしいのりには、驚くほど多くの手間がかかっていました。
こののりを未来に残すためには、海の環境を守っていく必要があります。
一番好きなのりの食べ方はなんですかと、兼田さんに訊ねました。
「おいしい焼のりをそのまま食べるのが一番ですね。あとね、焼のりを少しだけ温めて、すりおろしたわさびを挟んでピッと折って、醤油を少しつけて食べながら酒を飲むんです。
これがね、実に、旨いんですよ」
この先もずっとこの食べ方ができるようにと、願わずにはいられません。
マルコ水産有限会社のデータ
団体名 | マルコ水産有限会社 |
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業種 | 海苔・牡蠣の養殖から製造・販売 |
代表者名 | 兼田敏信 |
設立年 | 1964年 |
住所 | 福山市内海町イ1428-128 |
電話番号 | 084-986-2418 |
営業時間 | 午前9時~午後5時 |
休業日 | 毎月第2土曜日・翌日曜定休日 |
ホームページ | マルコ水産有限会社 |