2023年1月8日。「福山市二十歳の集い」のオープニングステージには、和楽器バンドの箏奏者いぶくろ聖志(きよし)さんと、中学2年生の道免和沙(どうめん かずさ)さんら、福山市内の箏奏者たちの姿がありました。
式典の参加者に配布された「お箏どこで習えるの?マップ」には、福山市内にある30か所以上のお箏教室が載っています。
このマップと演奏会は、和沙さんの発案によるものでした。
その背景について、話を聞いてきました。
記載されている内容は、2023年2月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
2023福山市二十歳の集いオープニングステージ
2023年「福山市二十歳の集い」式典のオープニングに登場したのは、和楽器バンドのいぶくろ聖志さんと、筑紫若菜会のみなさんによる箏合奏団です。
はじめに、いぶくろさんの「さくら変奏曲」の独奏がホールに響きました。
次に、和沙さんらが登場し、和沙さんから「同世代に箏を知ってもらいたい」との思いが伝えられます。
合奏した曲は、若い人たちにも馴染みがある「春の海」から「千本桜」のメドレー、いぶくろさんが水野勝成(みずの かつなり)をテーマとして作曲した「風来壮烈(ふうらいそうれつ)」。
このステージで使われた箏のうち6面は、福山城の天守前広場で育った桐の木を使って作られた400年記念箏です。
二十歳のみなさんの門出を祝う、素晴らしい演奏でした。
会場に集まった人たちには、和沙さんが市の協力を得て作った「お箏どこで習えるの?マップ」が配られました。
教室の名前や流派などが載っていて、QRコードを読み込むと詳しい連絡先がわかるようになっています。
「君の奏でる一音で世界が変わるかもしれない」
表紙には和沙さんの言葉が添えられていました。
マップ制作の背景
和沙さんと箏の出会いは、5歳のとき。
保育所でボランティアの人が演奏した箏の音の美しさに、和沙さんはすっかり魅了されました。
「お箏を習いたい」と母親の葉子(ようこ)さんに訴えましたが、関西出身の葉子さんには福山市内のお箏教室にあてなどありません。
探してはみたものの、簡単には見つからなかったのだそうです。
しかし、小学生になってもまだ「お箏を習いたい」と訴える和沙さんの本気を悟った葉子さんは、さまざまなつてを辿って教えてくれる人を探しました。
やっと見つけた先生のもとで箏を学んで8年。
腕を上げた和沙さんは、中学校の文化祭などで箏の演奏を披露する機会も増えてきました。
「よかった」「感動した」と学校で声をかけてくれる子もいます。
けれども「私も習ってみたいけど近くに習えるところがなくて」ともよく言われるんです。
母が箏の先生を探すのに苦労したときから何年も経っているのに、状況は変わらないまま。
お箏教室の一覧を作れないかと、ずっと考えていました。
その夢の実現に向けて背中を押したのは、やはり葉子さんでした。
夢・未来プロジェクトに応募
「和沙!これに応募してみない?」
2022年の春、葉子さんが見つけたのは、中学生の夢の実現に向けたチャレンジを応援する「夢・未来プロジェクト2022」。
2015年から始まったこの取り組みでは、毎年4組の夢を後押しします。
「同世代にお箏を広めたい」との夢を提出した和沙さんのもとに7月半ば、書類審査通過の通知が届きました。
過去最多の733件もの応募の中から、8月27日の最終選考へと進む10組に選ばれたのです。
プレゼンテーション(以下、プレゼン)の用意をしながら、マップを作るだけでは興味を持ってもらえない、同世代が集まるところで演奏会を開いてマップを配りたいと、和沙さんは考えました。
しかし、どうすれば人が集ってくれるのだろうか、と悩んでいたのです。
そんななか、7月23日に開催された第29回ふくやま琴まつりに特別ゲストとして参加していたのが、いぶくろさんでした。
和沙さんの心には、箏を始めて間もない頃に観た和楽器バンドの演奏が残っていました。
あんなに速く手が動くものなのか。すごい。私もいつか、あのように弾いてみたい。
そう思って見つめていた箏の奏者が、まさにこの年、福山城築城400年応援サポーターとして福山に関わっているのは、不思議な縁でした。
何度も何度もやり直し、練習して挑んだプレゼン大会。
そこには堂々と夢を語る和沙さんの姿がありました。
和沙さんは、日本の伝統文化である箏を同世代に広めたい、そのために箏を習える場所がわかるマップを作りたいとの思いを伝えます。
和沙さんは、見事、4組の中に選ばれました。
夢の実現へ
そこからは福山市が協力し、マップの制作へと進みます。
和沙さんがデザインしたマップには、地域ごとの教室のほか、福山琴の歴史も。
いぶくろさんは快く共演を引き受けてくださり、二十歳の集いでの演奏が決まりました。
和沙さんが所属する筑紫若菜会も協力し、一日限りの箏合奏団が結成されたのです。
木目も音色も美しい、存在自体が特別な400年記念の箏を弾けたことも含めて、和沙さんには忘れられない体験となりました。
いぶくろさんも箏の師匠や姉弟子たちも、私のために演奏してくれているのに、私が演奏中に何度かミスをしてしまったんです。
みんなに申し訳なくて、泣きそうになりながら弾いていました。
けれども同時に、この曲をこのメンバーで合奏できることがとても楽しかったんです。
いぶくろさんの演奏は本当に素晴らしくて、なんてきれいな音だろうと、ワクワクした気分でした。
二十歳の皆さんに喜んでもらえたらいいな、そう思いながら弾きました。
終わった後でいぶくろさんに「失敗しちゃってすみません」と言ったら、「やり遂げること自体がすごいことなんだから、100点だよ」と言ってくださいました。
夢を支えた人たちにインタビュー
「同世代にお箏を広めたい」という和沙さんの夢の実現を支えた人たちに、話を聞きました。
福山市青少年・女性活躍推進課の深田和美(ふかだ かずみ)さんは、夢・未来プロジェクトの担当者です。
夢・未来プロジェクトについて、簡単に教えてください。
深田(敬称略)
夢・未来プロジェクトは、次代を担う中学生の夢の実現に向けたチャレンジを応援するためのプロジェクトです。
このプロジェクトで、世界的に活躍しているドラマーからドラム指導を直接受けた人は、上京して今も夢を追い続けています。
また、日本記録を持つプロジャグラーにジャグリングを指導してもらった人は、今では全国各地でパフォーマーとして活躍中です。
2023年の夏には、スコットランドで開催される世界大会に出場するそうですよ。
そのときだけの夢を叶えるのではなく、その人の将来につながるプロジェクトとなっているんですね。今回、和沙さんの夢が選ばれた決め手は何だったのでしょうか。
深田
書類審査と最終審査のプレゼンの2段階で審査をするのですが、どちらの審査でも、夢の「影響性・積極性・将来性・実現性」を考えた上で選考します。
最終審査ではプレゼンの内容やわかりやすさなども含めて、総合的に審査するんです。
和沙さんの夢は「同世代にお箏を広めたい」、そしてチャレンジしたいことは「お箏マップを作る」「演奏会を開いて、聴いた人が興味を持って気軽にお箏を始められるようにする」でした。
周りに影響を及ぼすという点が、大きく評価されたのではないでしょうか。
なるほど。では、夢の実現のための具体的な支援について、もう少し詳しく聞かせてください。
深田
マップ作成では、市から福山文化連盟やリーデンローズなどに連絡をし、箏を教えている先生たちに手紙を出して、マップの掲載についてお願いしたところ、35教室から返事が届きました。
和沙さんも、こんなにあるなんて、と驚いていましたね。
教室の先生たちも「初めての試みだ」と、とても喜んでくれました。
今回の共演について、いぶくろさんは何と。
深田
そうですね。お箏マップについて「素晴らしい」とご自身のSNSで紹介してくださっています。
福山城の桐で作られた箏の音を二十歳の人が聴けたことは、これから世に出て活躍していく上でとても貴重な経験になると思う、とも言われていましたね。
夢・未来プロジェクトが気になる人も多いのではないかと思います!
深田
ぜひ、市の広報や夢・未来プロジェクトのFacebookをチェックしてください。
個人の夢はもちろんですが、福山市に還元してもらえるような大きな夢も期待しています!
続いて、和沙さんの箏の師匠である神囿歌世子(かみぞの かよこ)さんにお話を聞きました。
和沙さんは「箏を同世代に広めたい」と言っています。実際、和沙さんの同世代にあたる20代以下の人たちにとって、箏は縁遠い楽器でしょうか。
神囿(敬称略)
今、小学校や中学校の音楽では、和楽器が必修となっています。
ですから学校にクラブがあったり、箏を学ぶ時間が設けられたりしているんです。
現在私が箏を教えている人のうち、人数でいうと20代以下が7割を占めています。
けれども、その後も箏を弾き続けてくれる人はそれほど多くはありませんね。
箏を弾く人は減っていますか。
神囿
お弟子さんの具体的な人数、といったデータが全国で共有されているわけではないので、はっきりした数はわかりません。
しかし、数十年前と比べると、嫁入り道具に箏を持っていく人などは減っているようですし、教室の人数も少なくなっていると感じます。
和沙さんの「お箏マップ」のアイディアを聞いたときのお気持ちは。
神囿
箏にはいくつかの流派があって、それぞれの家元で教室を把握しています。
ですので、これまで流派を超えた教室の一覧表などなかったし、楽器屋さんですら把握できていませんでした。
それを中学生が提案して、実際に作ったというのは、本当に画期的なことです。
小さな頃から箏を教えてきた和沙さんが、このような視点から箏を広めるために考えてくれたこと、思慮深く非凡な人に成長してくれたことを、本当にうれしく思います。
ずっと箏に関わってきた私にも、大きなご褒美をいただいた気分でしたね。
箏の文化を残すために、私たちにできることは何でしょうか。
神囿
時代が変わっているなかで、なかなか箏を弾く時間を取るのは難しくなってきています。
けれども、そんな時代だからこそ、本物の箏に触れてもらう体験が大切なのではないでしょうか。
実際に箏の音を聞いたり、自分でも弾いてみたりという体験を通して、箏を知ってもらうこと。
そこから始まるのではないかなと思います。
小さな一歩の後ろに
和沙さんは、これからも箏を弾きつづけていきたい、と話してくれました。
福山市は箏の生産数が日本一ですが、箏の作り手も演奏する人も減ってきています。
そんななかで、和沙さんがずっと秘めていた「同世代に箏を広めたい」という夢が、多くの人の協力で形になりました。
「和沙へ
お箏を皆に広めたいという思いから、苦手でも人前で弾く努力を始めた和沙。
その小さく頑張って踏み出した一歩からずっと和沙の後ろには道ができています。
努力と挑戦の道です。
そうして作り続けた道の過程に今日があります。
変なプレッシャーは感じなくていい。
その純粋な思いを大切に、進んでほしいと願っています」
プレゼン大会のあとで渡された両親からの手紙を、和沙さんは大切にしまっているそうです。
何かと慌ただしい時代かもしれませんが、そんなときだからこそ、箏の穏やかな音色に耳を傾けてみませんか。
そして、もし箏を弾いてみたいなと思ったら、どうぞこのマップを手にとってみてください。