杉本和歳さんへのインタビュー
タイラーデザインを創業した経緯とは。
「仕事」として「デザイン」に向き合う意味とは。
杉本さんにその想いを語ってもらいました。
もともとデザインに興味があったのですか?
杉本(敬称略)
いわゆる「デザイン」という明確な意識はありませんでしたが、幼少期から何かをつくることが好きでした。
小学生のころは図工が得意科目でしたね。
服飾デザインの道を目指していたんですが、進学した大学は建築系。
学部卒業後は大学院修士課程に進みました。
大学院修了後は?
杉本
大学・大学院が東京にあったので、そのまま都内の内装設計事務所に就職しました。
デパ地下にある洋菓子店などのインテリアデザインをやらせてもらいましたね。
そこを退職後はいろいろと食いつなぐ日々。
デザインに関係しているしていないにかかわらず、派遣やアルバイトなどなんでもやりましたよ。
我ながらユニークだなと思うのは、工事現場での荷揚げ作業。
毎日腕がパンパンで、身体もゴツくなりました。
この経験があるからこそ、「ビジネスで失敗したらどうしよう」みたいな不安は感じなくなりましたね。
肉体的にも精神的にもタフになった。
ほんと、大変だったけど懐かしく、人生の大事な時間だったと思います。
苛酷だ…。グラフィックデザインの世界にはどのようにして入ったのでしょうか?
杉本
知人の紹介で東京都文京区本郷のまちづくり活動をおこなう認定NPO法人「街ing本郷(まっちんぐほんごう)」とつながったことがきっかけです。
地域のゴミ拾いイベントを開催するので、チラシをデザインしてくれないかと頼まれました。
グラフィックデザインの知識も経験も皆無でしたが、直感的にチャンスだと思い二つ返事で快諾したのを覚えています。
報酬ゼロのまったくのボランティアでしたが、それがスタートでしたね。
2012年5月のことです。
その後も街ing本郷とは関係が続いていき、地域ブランディングの企画や文人・文豪の冊子づくり、ロゴづくりなどをやらせてもらいました。
「本郷百貨店」のプロジェクトも同じ団体と協働したものです。
ただ、やはり「仕事」として受ける以上は成果物のクオリティに対して責任が伴います。
グラフィックデザインは初めてだから…、などという言い訳は通用しません。
なので、独学ですが日々の勉強は欠かさなかったですね。
そのときの努力が後の笠岡での仕事にもいきているのかな。
まさに「出会い」が活路を拓いたんですね!そして創業へ至ったと。
杉本
はい。
ゴミ拾いイベントのチラシをデザインしたとき、いま見返すとなんとも稚拙で荒削りなんですが、すごく喜んでもらえたんです。
それがとてもうれしかった。
充実感ですね。
楽しい!と。
つねづね考えていることですが、仕事は「義務」でやるものでしょうか。
いや、そうではないんじゃないか。
そうではなくて、僕は「楽しむもの」だと思うんですよ。
楽しんでなんぼ。
では「楽しい」とは何か。
その答えが僕にとっては「多能工」、「ひとりでいろいろとつくれたほうが楽しいし、喜ばれる」ということだったんです。
そうした想いから、2013年に個人事業主としてタイラーデザイン事務所をスタートさせました。
おわりに
「職人気質」という言葉があります。
頑固一徹、熟練の技術に絶対的な自信をもち、自らのスタイルを変えない。
そんなイメージです。
杉本さんの追い求めるマルチタスカーとしての「多能工」とは正反対に位置する概念だと、ずっとそう理解していました。
しかし、ふと思うのです。
多能工は「人」に特化した職人だ、と。
人と出会い、人に寄り添い、人の心を動かす。
そんな人間味が、温もりが、多能工の生み出すデザインからはにじみ出ています。
杉本さんは言いました。
「クライアントに喜んでもらいたい」
いくら洗練されていようとも、「人」の介在しないデザインに「人」を喜ばせる力はありません。
徹頭徹尾「人」を想ってこそ、デザインは魂を得るのです。
やっぱり、デザインって、オクブカイ。
タイラーデザイン事務所のデータ
名前 | タイラーデザイン事務所 |
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所在地 | 岡山県笠岡市大島中2553海の校舎(笠岡事務所) |
電話番号 | |
駐車場 | あり |
開館時間 | |
休館日 | |
入館料(税込) | |
支払い方法 | |
予約について | |
タバコ | 禁煙(指定エリアのみ喫煙可能) |
トイレ | 和式トイレ(一部洋式トイレ) |
子育て | |
バリアフリー | |
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