福山市民の「ソウルフード」とまで呼ばれ、愛されていた老舗大衆食堂「稲田屋」の関東煮(かんとうに)と肉丼(にくどんぶり)。
しかし、残念ながら令和2年(2020年)9月に稲田屋は閉店し、関東煮や肉丼は食べられなくなってしまいました。
福山市民にとって、とても寂しいニュースとなったのです。
それから約3ヶ月後の令和2年12月、さらに驚きのニュースが飛び込んできました。
福山市鞆町で長く海産珍味・水産加工品を製造してきた株式会社 阿藻珍味(あも ちんみ)が、稲田屋の事業を継承するというのです。
あの稲田屋の味をふたたび食べられるのは、福山市民にとって朗報。
そこで阿藻珍味 本社を訪れ、社長から稲田屋の事業を継承した経緯や今後の展開についてインタビュー。
旧 稲田屋から、味を直伝されている最中の社員のかたにも話を聞きました。
記載されている内容は、2021年2月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
目次
阿藻珍味が稲田屋の屋号とメニューを継承へ
稲田屋は、福山中心部で令和2年9月まで営業していた老舗の大衆食堂です。
少なくとも大正8年(1919年)には営業をしており、101年以上の歴史がありました。
数あるメニューのなかでも「関東煮」と「肉丼・肉皿(にくざら)」は福山市民に長きにわたって愛され、郷土の味といわれています。
しかし、残念ながら閉店を決意。
閉店日が近くなると、店の前に長蛇の列ができました。
その後、令和2年12月に稲田屋を運営した株式会社 稲田屋から、株式会社 阿藻珍味への事業譲渡を発表。
阿藻珍味は昭和24年(1949年)に現在の福山市鞆町で設立された、食品製造・販売や飲食店運営などをおこなう企業。
70年以上の歴史があります。
水産加工品をはじめ、土産用尾道ラーメンなどで知られています。
また、飲食店「小魚 阿も珍」の運営でもおなじみです。
阿藻珍味は稲田屋より屋号と看板商品のメニュー・ノウハウを譲り受け、関東煮や肉皿などを展開していくことになりました。
肉丼は、牛肉・豚肉とゴボウ・タマネギ・ネギを甘辛い味で煮込み、ごはんの上に載せたもの。
ごはん無しが、肉皿。
甘めで家庭的な懐かしい味わい。
関東煮・肉皿(肉丼)の特徴の詳細については、旧稲田屋 閉店の記事(歴史編)を見てください。
阿藻珍味の社長・粟村元則さんへインタビュー
福山市民にとって、稲田屋の閉店は大きなニュースとなりました。
それと同じように、稲田屋から阿藻珍味への事業譲渡は驚きのニュースです。
福山に根付いていた名店の味がまた食べられると、心待ちにしている市民も多いでしょう。
そこで、株式会社 阿藻珍味の代表取締役・社長の粟村 元則(あわむら もとのり)さんへインタビュー。
稲田屋の事業を受け継いだ経緯、今後の展開や心意気などについて話を聞いてみました。
稲田屋の事業を受け継いだ経緯を教えてほしい。
粟村(敬称略)
もともと、稲田屋の稲田 正憲(いなだ まさのり)社長(当時)と弊社の会長・阿藻 盛之(あも もりゆき、令和2年9月までは社長)はお付き合いがありました。
話をするなかで、阿藻が「もし後継者がいないなら、教えてよ!」という話をしていたそうです。
それは稲田屋さんが閉店するずっと前の話。
軽い冗談として話したことでした。
しかし令和2年になり、本当に稲田屋さんが閉店すると稲田社長から連絡があって、会長はとても驚いたんです。
市民に愛されている味を残すため稲田さんの力になれるならと、会長は阿藻珍味として稲田屋を受け継ぐことを決意しました。
ただし、ほかにも継承したいというかたもいたそうなので、あくまでもほかに継承候補がいない場合に阿藻珍味が継承させてもらおうという気持ちだったんです。
結果として、阿藻珍味が稲田屋を継承することになった。
粟村
はい。 稲田社長から弊社をご指名いただいたんです。
弊社は稲田屋さんにはおよびませんが、昭和24年からずっと水産加工品を中心に食品製造・販売にたずさわってきました。
そのことが評価されたのかもしれませんね。
そして、令和2年12月15日に事業の譲渡が完了しました。
今後、どのように展開していくのか?
粟村
弊社が譲り受けたのは、屋号と看板商品のメニュー・レシピです。
最初は、稲田屋の看板商品で「福山市民のソウルフード」といわれている関東煮と肉皿の持ち帰り販売を始める予定です。
屋号も継承していますので、阿藻珍味としてではなく「稲田屋」として販売をしていきます。
実店舗(飲食店)はやらないのか?
粟村
まずは、関東煮の持ち帰りでやっていこうと思っています。
初めは試験的に限定出店し、状況を見て固定店舗を出店していきたいですね。
ある程度軌道に乗ってきたら、肉皿の持ち帰り販売も視野に入れていければと思います。
そして福山のみなさまに「阿藻珍味は稲田屋の味をシッカリと守っている」と思ってもらえるようになれば、飲食店というスタイルにも挑戦してみたいなと思います。
だから、まずは関東煮の味を地元のお客様に認めてもらうところからですね。
実は稲田屋さんから、関東煮の大鍋や店の立て看板をいただいたんですよ。
実際に稲田社長が店で売っていたように、大鍋から関東煮をトレーに入れてお客様に渡すようなスタイルができたらいいなと考えています。
またロゴも旧 稲田屋時代に近いものにしたり、いただいた立て看板も活用したりして、なるべく旧 稲田屋をイメージできるようにしたいですね。
粟村社長も稲田屋には なじみがある?
粟村
実は、父が稲田屋に近い地区の出身なんです。
だから、父はかなり稲田屋にはなじみがありました。
私は店にあまり行ったことはないんですが、実家に寄ったついでに稲田屋の関東煮などを父が持ち帰ってくれたんです。
ですから、自宅で稲田屋さんの関東煮をよく食べていましたよ。
子供にとって、あの甘い味はたまらないですよね。
事業を継承して、今後に向けての気持ちは。
粟村
私たちは、今まで水産加工品が中心でした。
尾道ラーメンも、海産物の知識や技術を生かしています。
いっぽう、関東煮も肉皿も肉ですよね。
魚介は得意分野ですが、肉という分野は新たな挑戦です。
ですから稲田屋さんを継承することは、阿藻珍味にとって新たな力になると思っています。
また弊社の商品は、土産物向けのご利用と地元の家庭向けのご利用が半々くらいでした。
コロナ禍になり、土産物向けの売上は減少しましたが、地元向けの売上は上昇したんです。
なのでコロナ禍をきっかけに、地元のお客様のありがたさを感じています。
稲田屋さんは、福山市民に長く愛された店。
地元のお客様に向けて、慣れ親しんだ味を提供できればと思っています。
阿藻珍味の商品管理部・井上周三さんと吉本直弘さんへインタビュー
実際に稲田 正憲さんから関東煮や肉皿の指導を受けている阿藻珍味の社員のかたは、どのように奮闘しているのでしょうか。
商品管理部の井上 周三(いのうえ しゅうぞう)さんと、吉本 直弘(よしもと なおひろ)さんにインタビューをしました。
稲田さんから教えてもらった商品は何?
井上(敬称略)
稲田屋さんの看板メニューだった関東煮と肉皿の2つです。
どちらも福山市民のソウルフードといわれるほど市民に定着した味。
しっかりと継承できるように学んでいます。
レシピを教えてもらい、大変だったことは?
吉本(敬称略)
私たちは海産物の扱いは慣れていますが、本格的に肉を扱うのは初めてのようなものです。
ですから海産物にはない、肉ならではの作業があることが大変ですね。
具体的には、肉の下処理です。
下処理はかなり細かい作業があり、ひじょうに手間や時間がかかるんですよ。
今は1人でやっているんですが、1人で2時間くらいかかりました。
しかもうまく下処理ができていなかったら、味に影響が出てしまいます。
だから、気の抜けない作業でもあるんですよ。
あとは串打ち(肉に串を刺す作業)も、手作業なので時間がかかって大変だなと感じました。
材料や調味料などは?
井上
肉も調味料も、すべて稲田屋さんと同じものですよ。
稲田屋さんから取引先を紹介され、そのまま同じ取引先から仕入れることになっています。
つくり方や味が同じでも、やっぱり同じものを使わないと同じ味は出せないと思うんです。
ですから同じ肉、同じ調味料を使うことにはこだわりました。
今後の課題はある?
井上
私たちは、あくまでも商品開発の担当。
今後、実際に調理していくのは現場の調理場で働く社員です。
だから私たちが今学んだことを、調理場の社員向けに教えていく必要があります。
そのためには、データ化などが必要です。
稲田さんは昔ながらの職人。
味や調味料の分量など、体が感覚的に覚えています。
でも私たちは分量などを数値化して、わかるようにしていかなければいけません。
これが大変な作業だと思います。
ですから、本当の勝負はこれからだと考えていますね。
稲田屋の関東煮・肉皿を学んで、感じたことはある?
吉本
阿藻珍味は海産物の加工をメインにやってきました。
だから「肉」という新たな分野に挑戦できるということで、好奇心が刺激されます。
実際にやってみて楽しいですね。
また関東煮や肉皿で「煮る」「炊く」といった作業をしますが、これは和食にもつながっていきますので、勉強になっています。
旧 稲田屋の稲田正憲さんへインタビュー
旧 稲田屋を運営していた株式会社 稲田屋の社長を務め、阿藻珍味の社員につくり方の指導をしている稲田 正憲(いなだ まさのり)さんへインタビュー。
稲田屋の看板と味を阿藻珍味へ継承した気持ちなどを聞いてみました。
阿藻珍味への継承が決まり、いまの気持ちは?
稲田(敬称略)
正直、驚いています。
そして安心していますね。
というのも、阿藻珍味さんの社員のかたの情熱がすごいと感じました。
関東煮や肉丼のつくり方を教えたところ、まるで砂が水を吸うかのように、ドンドンとノウハウを覚えていったので驚きましたよ。
阿藻珍味さんは長いあいだ食品製造をされているのですから、社員のかたもプライドがあると思います。
だけどプライドなどは関係なく、とても真剣に学んでいました。
これはなかなかできないことですよ。
やっぱり味を継承しよう、学ぼうという熱い気持ちがあるからだと思います。
だから、阿藻珍味さんに任せてよかったと安心していますね。
味の継承は期待できると。
稲田
はい! 熱意のある社員のかたがたを見ていると、継承は大丈夫だと確信しました。
あと阿藻珍味さんにはじめてお邪魔して、実は教える前に「任せて大丈夫そうだな」とは感じていたんですよ。
理由は清掃が行き届き、ちゃんと整理整頓されているから。
絶対ではありませんが、店の清掃や整理整頓がしっかりとされているところは味もおいしいです。
清掃・整理整頓ができていないと味にも反映されると思っています。
飲食店は、まず清掃・整理整頓することからではないでしょうか。
阿藻珍味さんは、清掃・整理整頓が徹底されています。
だから直感的に期待ができそうだと思いました。
ちなみに食材を仕入れていた業者さんが「阿藻珍味さんなら大丈夫ですよ!」と太鼓判を押していましたので、それも安心材料ですね。
最後に、地元・福山のみなさまにメッセージを。
稲田
さきほど話したように、阿藻珍味のみなさんは大変熱心で一生懸命学んでいます。
しっかり味を継承していただけると期待していますので、地元のみなさまはぜひ楽しみに待っていてください。
あとは、阿藻珍味さんの「稲田屋」が繁盛してくれるとうれしいですね。
阿藻珍味が稲田屋の「福山の心の味」を守り継承していく
稲田さんも太鼓判を押している阿藻珍味の関東煮・肉皿。
早く食べたくてウズウズします。
もう食べられないと思っていた稲田屋の味がふたたび食べられることは、福山市民にとってとてもうれしい話題です。
あともう少しで新・稲田屋の味が食べられますので、楽しみにしていてください。
串にブタやウシの内臓肉を刺し、甘いタレで煮込んだもの。
ガツ(ブタの胃)とブタの小腸を刺した「シロ」と、フワ(ウシの肺)とブタの小腸を刺した「クロ」がある。
甘い味付けがクセになる。