自然をコントロールしようとするのではなく、敬いつつ、共生の道を探る。
そのような考えが、日本人のつちかってきた自然観や伝統産業にはあります。
地域や気候に適した材料をつかい、職人の手作業や織機で作られる備後表(びんごおもて)。
その品質は地域の高い生産技術をほこり、経年変化を味わいながら長く使用できる特徴があります。
また材料に自然素材をつかうことから大量生産が難しく環境負荷が低い、つまりSDGs的な評価が高いのです。
「福山城で秋の夜長を楽しむ会」は、そうした地元産品の魅力に光をあてたイベント。
とはいえ格式ばることなく、地域の人々が守ってきた風習や考え方を自ずと見直すきっかけとなる催しでした。
それはどのような夜会だったのでしょうか。
記載されている内容は、2023年11月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
目次
天空高く馬肥ゆる「福山城で秋の夜長を楽しむ会」
令和5年10月3日、福山城天守(福山城博物館)の最上階「天空の間」で、「福山城で秋の夜長を楽しむ会(以下、秋夜会)」が開催されました。
秋夜会は、福山城の最上階から夜の眺望を楽しんで貰う一方で、市の伝統産業「備後畳表」にスポットを当て、その魅力や価値の認知につなげるイベント。
天満屋福山店の顧客を対象に、13名が地元・山野峡のワインや仕出し弁当(木之庄町 きはる製)、備後畳表や福山城に関するアトラクションなどで、城主さながらのもてなしを受けました。
令和6年(2024年)に開店40周年を迎え、同時に天満屋としては創業200周年をその5年後(令和11年/2029年)に控えている天満屋福山店。
これを機に地域連携の機能を強化する目的で、行政・企業・団体の協力のもと、おこなわれた今回の試み。
福山市の地域資源を中心に、分野を超えた企業・団体などの連携を生むきっかけとして位置づけられています。
福山城天守の最上階「天空の間」が会場に
「天空の間」と名付けられた福山城天守の最上階。
その広さ66平方mのスペース。
令和5年5月より、天空の間は事業者・団体を対象に、夜間の一般使用を開始しています。
福山城は日本100名城に数えられ、令和4年の「令和の大普請」では、築城時の「鉄板張り」を再現して、全国的な話題にのぼりました。
福山城の夜間の一般解放は、ナイトタイムエコノミーにつながる有効活用を見据えた取り組みのひとつ。
福山市の枝広市長は「『天空の間』と天守前広場を一体的に利用することもでき、良質な夜のにぎわい創出につなげたい」と会見で述べています。
福山市の伝統産業「備後表」に光を当てる
今回、秋夜会の柱としてスポットを当てられたのが、福山市の伝統産業である「備後表」。
俗に暇を持てあますことを「畳の目を読む」というように、日々を忙しく過ごす我々は、普段足許にある畳表について立ち止まって考えることは、まずありません。
しかし備後表は奥深く、まさに灯台下暗しの世界が広がっていました。
沼隈半島を発祥とする備後表
もともと備後表は、広島県の東部、福山市の沼隈半島周辺に自生するイグサを水田で栽培、製織したのがルーツ。
沼隈半島やその周辺で生産された畳表は「備後莚(びんごむしろ)」として、南北朝時代の日記「師守記(もろもりき)」にも記述が見られます。
それらの記録から沼隈半島一帯でイグサの栽培や製法が確立され、よく知られた産業であったことがわかります。
織田信長も愛でた誉れ高い備後表
「畳は備後表に高麗縁(こうらいべり)」とは、織田信長の評。
天下人の権威を示した豪華絢爛(ごうかけんらん)な安土城の天守に、備後表は使用されていました。
あの豊臣秀吉を祀る豊国神社に用いたという記録もあります。
また福島正則(ふくしま まさのり)は備後表を幕府に献納し、その名を全国レベルに高めました。
水野勝成(みずの かつなり)は特別な役職を任じて管理に当たらせ、イグサの栽培から畳表の製作にいたる保護統制を通じて、さらに備後表のブランド力を高めたのです。
先細りの窮状を抱えるイグサ栽培
現在、国内のイグサ栽培はおもに熊本、福岡、高知、広島などの地域でおこなわれています。
それぞれに特徴をもった畳表が作られるなかで、備後表はいまも最上級の畳表という高い評価を得ています。
しかし畳表の需要は低下し、後継者不足が追い討ちをかけ、一方で外国産の畳表が流入するなど、備後表の伝統技術が危機に瀕しています。
そうした窮状にありながら、備後表は地元の厳選したイグサで、その品質を保持し続けているのです。
備後表の認知度アップを図る「備後表継承会」
「備後表継承会」は、備後表の普及啓発と後継者育成をおこなう団体。
当メディアでも、鞆事務所の活動のもようを取材しました。
市民を対象とした研修・講演会やイグサ田の見学会の実施、各種メディアに向けた広報活動などに取り組んでいます。
ユニークなPR活動では、備後イグサで虚無僧笠や浪人笠を作る職人と新商品「イグサハット」を開発。
味わい深いハンドメイドの風合いが受け、予想を上回る人気を博しています。
市内本郷町で栽培される備後イグサ
現在、福山市本郷町の3面のイグサ田で、栽培のようすが見られます。
苗の植え付けは11月ごろ、刈り取りは翌年の7月上旬というサイクルで栽培されている備後イグサ。
とくに大変なのは、2~3週間ごとに約170cmに伸びるまで、成長に合わせて転倒防止の綱を高くする作業だそう。
福山大学建築学科佐藤ゼミの学生も、備後イグサの栽培に参加し、日本人の住環境や畳文化について学んでいます。
今回の秋夜会のように見学会や体験会を継承会が開催するのも、認知向上の一環なのです。
備後表の品質の高さがわかる中継表
2本のイグサを中央でつなぐ中継表(なかつぎおもて)は、備後で考案された技術。
イグサの中ほど、丈夫でしっかりとした部位のみを用いて、通常より1.5~2倍の量で織ることで、重厚感のある畳に仕上がります。
中継表専用の織機は、今では備後表継承会の佐野商店と福山大学ほか、商用稼働するものは数台しか残っていません。
中継表は、備後表がいかに高い品質と貴重な技術を保持してきたかを今に伝える商品です。
401年目の築城イヤーを盛り上げる「カツナリ・デ・ナイト」
令和4年8月26日に、築城400年の記念日を迎えた福山城。
そして令和5年は、築城から401年目の年にちなみ、一連の関連イベントに「カツナリ・デ・ナイト(KATSUNARI de NAITO)」と冠し、昼/夜の変化のなかで、福山城のあらゆる楽しみ方が提案されています。
歴史や文化、地元のグルメなど、体験を通して福山の魅力をアピールする、各種イベントが続々開催中。
カツナリ・デ・ナイトのイベントでは、能の演舞や琴・太鼓の演奏、勝成公をテーマにしたフードマルシェ、月見茶会などが開催されました。
また夜間の福山城を舞台にした没入型演劇『福山ナイトキャッスル~鬼日向の城~』は、追加公演(令和5年11月25日、12月2日)が決定しています。
福山城博物館の観覧では気づかなかった、文化や産業の特徴や現在にいたる発展が体験を通して知れるのです。
今回取り上げた秋夜会は、カツナリ・デ・ナイトとの直接的な関連はないものの、同様の趣向を感じさせます。
勝成公の功績をたどり 地域資源の魅力を再発見する
福山藩初代藩主・水野勝成でないと、成し得なかった当地での偉業の数々。
既存の枠に囚われない名将の柔軟な考え方によって、現在の福山の礎は築かれました。
そうした勝成公の施策や奨励は、時世の変化が激しい今日も必要とされる多くの発想が含まれていそうです。
福山城を舞台に良質な歴史ストーリーを描く
天満屋福山店には、備後の逸品を集めたセレクトショップ「Fukuyama Mono Shop」があります。
こちらでイグサハットを小粋に陳列することはできても、中継表といった玄人好みの畳表を巧くアピールするのは難しそうです。
それは背景となるストーリーを知ってこそ、備後畳表の魅力が過不足なく伝わるからではないでしょうか。
今回の秋夜会では、ライトアップされた福山城・天空の間という素晴らしいロケーションを得て、生産者の思いや地域と結びついた備後表の歴史をわかりやすく伝えていました。
今後も地域資源を中心に据えた、天満屋福山店の取り組みに注目してほしいと思います。
日常生活に寄り添う備後表の豊かさを体験したいかたは、備後表継承会 鞆事務所(旧小林家住宅)を訪れてみてください。
福山城天守(福山城博物館)天空の間のデータ
名前 | 福山城天守(福山城博物館)天空の間 |
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期日 | 午後5時半から9時半までの4時間 |
場所 | 広島県福山市丸之内1丁目8番 |
参加費用(税込) | |
ホームページ | 福山城博物館 |
夜間の観光や消費などによって、経済活動を促す事業。全国各地で状況に応じた夜間の楽しみ方を提案し、地域の活性化が図られている。