鞆の浦と聞いたら、何を思い浮かべますか?
仙酔島などの島が見える海の風景を挙げるかもしれません。
鞆の浦を象徴する景観といえるでしょう。
鞆の浦には、仙酔島などが浮かぶ海を眺められる場所があります。
それが「福禅寺(ふくぜんじ)」という寺です。
福禅寺にある「対潮楼(たいちょうろう、對潮楼とも)」という建物から見る仙酔島などの島と海の眺めは、まさに絶景。
福禅寺・対潮楼は江戸時代に朝鮮通信使(ちょうせん つうしんし)の迎賓館(げいひんかん)としても利用され、歴史的にも重要な役割を果たした場所です。
対潮楼を訪れた朝鮮通信使は、対潮楼からの絶景を「日東第一形勝」、つまり「日本一すばらしい景観」と感動しました。
さらに幕末には「いろは丸事件」の賠償の談判(交渉)場所となり、坂本龍馬(さかもと りょうま)が対潮楼を訪れています。
福禅寺は、鞆の浦に来たら寄ってほしいスポットです。
歴史的に重要な場所であり、昔も今も美しい景観で訪れる人を魅了する福禅寺の魅力に迫ります。
記載されている内容は、2021年1月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
目次
福禅寺 (対潮楼)のデータ
名称 | 福禅寺 (対潮楼) |
---|---|
別名 | 海岸山(かいがんざん)、千手院(せんじゅいん) |
宗派 | 真言宗 善通寺派 |
所在地 | 広島県福山市鞆町2 |
電話番号 | 084-982-2705 |
駐車場 | なし |
御本尊 | 千手観音 |
御利益 | 子授け、安産、夫婦円満、恋愛成就、災難除け、延命、病気治癒、現世利益 |
御朱印(納経料) | あり(300円) |
拝観時間 | 平日:午前9時~午後5時 土曜・日曜・祝日:午前8時~午後5時 |
休観日 | なし 原則無休。2022年現在、コロナ禍の影響により不規則な休観日となっている。 |
拝観料 | 一般:200円 中学・高校生:150円 小学生:100円 未就学児:無料 |
拝観料・納経料の納め方 |
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トイレ | |
ホームページ | 福禅寺 対潮楼(ふくぜんじ たいちょうろう) - 福山市ホームページ |
交通機関での行き方
公共交通機関で福禅寺に向かう場合は、JR福山駅からバスを利用します。
福山駅南口の駅前バスロータリーの5番乗り場より、トモテツバス・鞆線の「鞆港・鞆の浦」行きへ乗りましょう。
「鞆港」バス停で下車します。
下車したら道路の北側に渡り、歩道を福山方面(バスが来た方面)へ約120メートル戻ります。
すると途中から歩道が上り坂になっていますので、その歩道を上りましょう。
坂となった歩道を登り切ると、北(進行方向左)へ路地がのびていますので、曲がって路地を進んでください。
坂の歩道を登り切ったところに、福禅寺 対潮楼への案内が建っています。
路地に入って約30メートル直進しましょう。
道の東(進行方向右)にあるのが福禅寺境内への入口です。
なお逆方面(福山方面)から歩いてきた場合は、仙酔島への渡船場の前の県道22号線(福山鞆線)を北へ渡ります。
そして、歩道を約50メートル西へ進みましょう。
途中から坂道の歩道となり、坂を上りきったところで北(進行方向右)へ福禅寺へ向かう路地があります。
自動車での行き方
福禅寺に駐車場はありません。
最寄りのコインパーキングを利用しましょう。
福禅寺は「対潮楼」で知られる古い寺
福禅寺は、鞆町にある真言宗 大覚寺派(だいかくじは)の寺院です。
福禅寺は平安時代に創建された古い寺。
山号は「海岸山(かいがんざん)」、院号は「千手院(せんじゅいん)」です。
仙酔島への渡船乗り場の、県道22号線(福山鞆線)を挟んだ北側にあります。
福禅寺は高い石垣の上にあり、「対潮楼」という建物が有名です。
昭和中期ごろまで、福禅寺の石垣のふもとまでは海だったそう。
江戸時代に幕府が朝鮮通信使を迎えるとき、対潮楼が迎賓館(げいひんかん)の役目をしていました。
そのため、福禅寺は「朝鮮通信使遺跡 鞆福禅寺境内」として国指定の史跡になっています。
さらに幕末には、坂本龍馬ら海援隊と紀州藩が対潮楼で「いろは丸事件」の談判をおこないました。
福禅寺は、歴史上で非常に重要な施設なのです。
また、対潮楼から見る仙酔島・皇后島・弁天島と周辺の海の風景は、絶景として江戸時代から知られていました。
現在でも、多くの観光客がこの絶景を眺めに福禅寺を訪れています。
福禅寺といえば対潮楼というほど有名なのです。
平成24年(2012年)には、秋篠宮文仁親王・同妃 両殿下が福禅寺 対潮楼へお越しになりました。
なお対潮楼はあくまでも福禅寺にある建物で、福禅寺の別名ではありません。
福禅寺の対潮楼の見学と本堂へのお参りをするには、拝観料が必要です。
対象 | 拝観料 |
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一般 | 200円 |
中学・高校生 | 150円 |
小学生 | 100円 |
未就学児 | 無料 |
福禅寺の歴史
福禅寺には、平安時代から続く長い歴史があります。
とくに江戸時代には、重要な出来事がありました。
順に紹介していきましょう。
創建と衰退、再興
福禅寺は、平安時代中期の天暦(てんりゃく)年間(947〜957年)に空也(くうや)という僧侶によって建立されました。
ただし建てられたときの名は「観音堂(かんのんどう)」で、今と違って天台宗の寺院だったのです。
観音堂は戦国時代の永禄(えいろく)年間(1558〜1570年)に火災にあい、衰退してしまいます。
しかし江戸時代になり、慶長15年(1610年)に尊栄(そんえい)という僧侶によって再建されました。
そして寛永15年(1638年)、後陽成天皇の第三皇子により真言宗 大覚寺(だいかくじ、京都市の寺)の末寺(まつじ、配下にある寺)に指定されます。
このときに、現在の名称・福禅寺に改称しました。
また元禄7年(1694年)には、憲意(けんい)という僧侶が本堂を改築します。
同時に、本堂に隣接して大きな客殿を建てました。
この客殿が、現在の対潮楼です。
対潮楼と朝鮮通信使
江戸時代を通じて福禅寺は、重要な役目を担っていました。
江戸幕府を訪問する朝鮮の要人「朝鮮通信使」が船で立ち寄り、休憩・宿泊する場所となったのです。
そして福禅寺の客殿は、朝鮮通信使をもてなす迎賓館として使われました。
当時、福禅寺に立ち寄ったのは、三使(正使・副使・従事官)という役職。
正使は今でいう外務大臣にあたる高官です。
そして福山藩をはじめ、日本の書家や漢学者と朝鮮通信使が福禅寺で文化交流をおこないました。
それだけ福禅寺は、重要な場所だったのです。
江戸時代中期の寛延元年(1748年)に福禅寺に寄った正使・洪啓禧(ホン・ケヒ)は、福禅寺の客殿を「対潮楼」と命名しました。
昔の瀬戸内海は、西から東へ向かう海上交通の主要航路。
鞆の地は、瀬戸内海の中部にあたります。
瀬戸内海の潮の流れが変わる場所に近かったため、鞆は古くから「潮待ちの港」として栄えました。
それにちなんで、「2つの潮の流れが対峙する海に面する館」という意味で「対潮楼」と名付けられたといわれています。
また洪啓禧は、対潮楼から東の仙酔島などが見える海の風景を見て「日東第一形勝(にっとう だいいち けいしょう)」と賞賛しました。
日東とは、日本のこと。
つまり「日東第一形勝」とは、「日本で一番すばらしい景観」という意味です。
対潮楼からの眺望は、訪れた多くの朝鮮通信使が感動しています。
ほかにも享保4年(1719年)に訪れた申維翰(シン・ユハン)も「人みなここにいたると、第一の観なりと主張してゆずらない」と、著書『海游録(かいゆうろく)』に書きました。
なお現在も福禅寺には、朝鮮通信使にまつわるさまざまな資料などが残されています。
坂本龍馬の「いろは丸事件」の談判
福禅寺の対潮楼は、朝鮮通信使以外にも坂本龍馬と関わりがあることで有名です。
江戸時代末期の慶応3年4月(1867年5月)、龍馬ら海援隊(かいえんたい)が乗った船「いろは丸」と、紀州藩(和歌山藩)が乗った船「明光丸」が、笠岡市・笠岡諸島の六島周辺で激突。
その後、いろは丸が沈没してしまいました(いろは丸事件)。
近くにある港町だった鞆に、龍馬らと紀州藩が上陸。
龍馬らは商家だった桝屋清右衛門宅(ますや せいえもん たく)に、紀州藩は圓福寺(えんぷくじ)に滞在します。
そして、桝屋清右衛門宅と圓福寺のあいだにある福禅寺の対潮楼と、商家・魚屋萬藏宅(うおや まんぞう たく、現在の御舟宿いろは)で、坂本龍馬が紀州藩と賠償の談判をおこないました。
しかし談判は決着せず、紀州藩と龍馬らは鞆を離れ、長崎で談判を再開しました。
福禅寺のおもな文化財
福禅寺には多くの文化財が残されています。
- 朝鮮通信使遺跡 鞆福禅寺 境内:国指定史跡
- 福禅寺 対潮楼 朝鮮通信使関係史料:福山市指定重要文化財
- 木造千手観音立像:福山市指定重要文化財
- 木造地蔵菩薩半跏像:福山市指定重要文化財
- 木造役行者像および二鬼像(前鬼像、後鬼像):福山市指定重要文化財
福禅寺 対潮楼 朝鮮通信使関係史料のうち6点は、平成29年(2017年)10月31日に「ユネスコ記憶遺産」にも指定されました。
福禅寺の見どころ
福禅寺のおもな見どころである対潮楼と本堂の2ヶ所を、それぞれ詳しく紹介します。
対潮楼
福禅寺を代表するのが対潮楼です。
本堂の向かって右側(東側)に対潮楼があります。
本堂の階段を上がり、本堂の扉の前を右に進むと対潮楼です。
御朱印が欲しいときも、受付でお願いしましょう。
対潮楼は東向きに窓があり、そこから仙酔島・皇后島・弁天島と鞆の海が見渡せます。
手前の鳥居と塔があるのが弁天島、その左後ろの島が皇后島。
一番奥側の大きな島が仙酔島です。
まるで絵画のような美しさを感じます。
この対潮楼からの眺めを見た朝鮮通信使が、「日東第一形勝」と賞賛したのもうなずけます。
その場に座って、しばらく景色を見入っている人が多かったのが印象に残りました。
対潮楼からの眺めは、昔の人だけでなく今も多くの人を惹きつけているのです。
対潮楼は坂本龍馬や朝鮮通信使にゆかりがあります。
そのため建物内には坂本龍馬・海援隊などの幕末の志士に関する資料、朝鮮通信使に関する資料がたくさん展示されていました。
対潮楼を命名した朝鮮通信使の洪啓禧の息子・洪景海(ホン・キョンヘ)は、対潮楼の名を書にして残しました。
福山藩により、その書を元にして対潮楼の扁額がつくられたそうです。
同じく窓の上にある「日東第一形勝」の扁額も、歴史的に重要なもの。
対潮楼からの景色を「日東第一形勝」と賞賛した朝鮮通信使の李邦彦(イ・パンオン)は、正徳元年(1711年)に「日東第一形勝」と書にしたためました。
約100年後、福山藩主・阿部正精(あべ まさきよ)の命によって、李邦彦の書を元にした木版が制作されたのです。
文化9年(1812年)には、福山市神辺出身の儒学者・漢詩人の菅茶山(かん ちゃざん)が日東第一形勝の扁額を開板にしています。
なお洪景海の「対潮楼」の書、李邦彦の「日東第一形勝」の書はどちらも現存していて、福山市指定重要文化財「福禅寺 対潮楼 朝鮮通信使関係史料」の一部です。
ほかにも、歴史的に重要な資料などが残されています。
ちなみに児島虎次郎や満谷国四郎ら著名な画家たちも福禅寺を訪れ、対潮楼からの景色を絵画に残しました。
また対潮楼からの景色は、歌謡曲『いい日旅立ち』を作詞・作曲した谷村新司氏による同曲セルフカバー・バージョンのレコードジャケットにも使われています。
本堂
本堂は、本尊仏がまつられている寺の中心的な建物です。
福禅寺の本堂は正面から入れません。
本堂の扉の前まで行き、向かって右へ進んで対潮楼に入り、対潮楼の奥側から入ります。
本堂の内部は撮影厳禁です。
本堂内には、御本尊の千手観音を中心にいろいろな仏像が立ち並んでいました。
その光景は厳かであり、圧巻の雰囲気です。
なかには、隠れキリシタンが祭っていたという「マリア観音像」が福禅寺に伝わり、今も本堂内に祭られていました。
福禅寺の御朱印
福禅寺の御朱印は、半紙にあらかじめ書かれているものに、日付を書き入れたものです。
御朱印帳を持っている場合でも、御朱印帳に書いてもらうことはできません。
いただいた御朱印の半紙を、御朱印帳に貼り付けましょう。
御朱印をいただくには、対潮楼の受付で300円を納めてください。
一般的に御朱印は、お参りをすませたあとにいただきますが、福禅寺では対潮楼の受付時に御朱印が欲しいことを伝えましょう。
対潮楼の見学や本堂のお参りをしているあいだに、御朱印に日付を入れて用意をしてもらえます。
福禅寺の対潮楼からの景色は鞆の浦の象徴
福禅寺の対潮楼からの眺めは、しばらく見入ってしまう美しさだと思います。
実際に、対潮楼でしばらく正座して景色を眺める見学者が多かったのが印象に残りました。
対潮楼からの景色は、鞆の浦を象徴する景観です。
朝鮮通信使や坂本龍馬のいろは丸事件など、歴史的にも重要な福禅寺。
鞆の浦観光に来たら、ぜひ寄ってほしい場所です。
福禅寺 (対潮楼)のデータ
名称 | 福禅寺 (対潮楼) |
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別名 | 海岸山(かいがんざん)、千手院(せんじゅいん) |
宗派 | 真言宗 善通寺派 |
所在地 | 広島県福山市鞆町2 |
電話番号 | 084-982-2705 |
駐車場 | なし |
御本尊 | 千手観音 |
御利益 | 子授け、安産、夫婦円満、恋愛成就、災難除け、延命、病気治癒、現世利益 |
御朱印(納経料) | あり(300円) |
拝観時間 | 平日:午前9時~午後5時 土曜・日曜・祝日:午前8時~午後5時 |
休観日 | なし 原則無休。2022年現在、コロナ禍の影響により不規則な休観日となっている。 |
拝観料 | 一般:200円 中学・高校生:150円 小学生:100円 未就学児:無料 |
拝観料・納経料の納め方 |
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トイレ | |
ホームページ | 福禅寺 対潮楼(ふくぜんじ たいちょうろう) - 福山市ホームページ |