島の人にお話を聞きました 高島自治会長・妹尾 利雄さん
高島の自治会長・妹尾 利雄さん(68歳:取材時)にお話を聞きました。
妹尾さんは高島でどのような子供時代を経て今に至りますか?
妹尾(敬称略)
子供時代は夏は海で泳いだり、竹竿とテグスで作った釣り竿で魚を釣ったりしていました。釣った魚は祖母が晩御飯に調理してくれて。
山も遊び場でした。木で基地を作ったり、穴を掘ったり。
昔は高島に小学校があって、私が通学していたころは20人くらい同級生がいました。
今は島には小学生、中学生、高校生が1人ずつ。小中学生は、全国的に珍しいスクールボートで通学しています。
高校卒業後、父が立ち上げた会社に入って海運の仕事に就きました。高島は漁師もたくさんいますが、石材を運んでいた歴史があり、海運業に携わる人も昔から多いです。
26歳で父から代替わりで社長となり、名古屋からさまざまな場所に大きな船で貨物を輸送する日々でした。
船での仕事と生活を65歳まで続け、今は福山と高島に家があります。
高島には週に2日ほど訪れ、畑を耕したり、自治会長やまちづくり協議会の仕事をしています。
高島は笠岡諸島のなかでも本土との距離が一番近く、交通の便がいい島。私のように通いながら生活する人がほかにもいますよ。
高島の畑では、大根、ピーマン、トマト、とうもろこし、オクラ、ゴマ、スイカなどなど、いろいろな野菜を無農薬で育てています。
島での暮らしをより良くする地域の取り組みは何かありますか?
妹尾
昔は高島に商店が3店ありましたが、今はありません。
そこで高齢者を中心に島の人たちが安心して生活に必要なものを手に入れられるよう、「婆ーちゃるショップ」という取り組みを高島まちづくり協議会が行なっています。
毎月2回、島で暮らすかたがたが生活必需品を注文票に記入したものをボランティアが取りまとめ、連携している笠岡商店街のお店に注文し、高島港で仕分けるという仕組みです。
港に定期的に集まることで顔を見たり話したりする機会にもなっています。
過去には島外から参加者を募って草刈りや懇親会のイベントを開催したこともあります。
高島は本土との距離が近く、島外の人にとっても気軽に訪れることができるのが魅力だと思います。
高島の人たちは、みんなで決めたことに対し「じゃあやろう!」と取り組むことが多く、チームワークがいいと思います。
島の人にお話を聞きました 神武天皇像を手掛けた河田浩二さん
高島神社の神武天皇像を手掛けた河田 浩二さん(88歳:取材時)にお話を聞きました。
高島神社の神武天皇像はどのように制作されたのですか?
河田(敬称略)
高島で暮らす人たちに協力してもらいながら制作しました。
材料は牡蠣いかだなど、漁業で使う発泡スチロールでできた「浮き」の廃材。20個くらい使っています。
発泡スチロールの汚れや傷んだ部分は取り除き、状態がいいところだけを使いました。
中に鉄筋を入れて合体させ、まわりを削って造形しています。
神武天皇像を作る過程は知人が冊子に残してくれました。
制作にかかった月日は、約5ヶ月。2020年10月に完成しました。
周りのかたたちが手伝ってくれたので本当によかったです。
河田さんが制作したものは、ほかにどんなものがありますか?
河田
子はらみ石には行きましたか?
近くにあった幸精龍王神の制作にも、ほかの島民のかたがたとともに携わりました。
土器など郷土資料を集めた「高島おきよ館」を高島神社の近くに設立し、自分で制作したオブジェなども展示しています。
今は、高島神社境内に高島の地図を描いた石のテーブルを制作中です。
ピンク色のハートの部分に「高島を愛する」と書こうと思っています。
おわりに
河田さんの制作物や言葉からは、「島が好きだからこそ、島をより魅力的にしたい」という高島への愛情が伝わってきました。
また、妹尾さんにいただいたトマトもとうもろこしも甘くて感動。自然の恵みとはこういうことか、と実感しました。
豊かな自然にあふれた高島は、人の個性もあふれる島。心豊かなかたたちとたくさん話すことができ、私も元気に。
今度はカーサ・タケダで一泊し、のんびり夕日を眺めながら美味しいお魚を食べたいです。