2022年の夏、大改修を終えた新生・福山城が、はやくも桜の季節をむかえました。
福山城400年博(2022年1月~2023年1月)のイベントを機に、同城を訪れたかたもいるのではないでしょうか。
華やかなお祭りムードにつつまれ、現代的にショーアップされた歴史風情を堪能したことでしょう。
では、福山城 伏見櫓の印象は、なにか残っていますか?
伏見櫓を目当てに福山城を訪れるかたは、やはり少ないように思われます。
たとえば情報提供という点で、天守(福山城博物館)を『NHK大河ドラマ』とするなら、伏見櫓は『Eテレの歴史特番』に近いことは否定できません。
いずれにせよ史実に迫るリアリティーを踏まえつつ、城めぐりを楽しみたいという声があることは確か。
桜がまだ咲き初めのころ。福山城 伏見櫓の特別公開についてレポートします。
記載されている内容は、2023年4月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
目次
『福山城伏見櫓 名誉城代就任記念公開』の開催
2023年3月24日~26日の3日間、福山城の国重要文化財・伏見櫓(ふしみやぐら)が公募で選ばれた市民らに公開されました。
先月(2023年2月)タレントの田村淳(たむら あつし)さんが、福山城の名誉城代に就任したことを記念した福山市主催のイベントです。
各30分の見学会が、午前10時から午後3時まで8回おこなわれ、3日間で約1,000人が参加しました。
伏見櫓の入口付近では、甲冑姿でポーズを決めた田村淳さんの等身大パネルが参加者を出むかえ、名誉城代就任を強く印象づけています。
普段は立ち入ることのできない伏見櫓に関する知識と新名誉城代の認知の向上につながる、恰好の機会となったのではないでしょうか。
新名誉城代・田村淳さんが福山城PRで目指すもの
「ここ(伏見櫓)を見なきゃ、福山城の魅力を半分も理解してないんだぞ」
2月に開かれた福山城名誉城代(応援大使)の委嘱式(記者発表)で、田村淳さんがはなったコメントです。
また「歴史的な価値でいうと福山城のなかでも一番高い」と評価したうえで、伏見櫓をスルーして福山城をあとにする観光客の(伏見櫓に対する)知名度の低さを指摘しています。
今回製作された等身大パネルは、おそらく伏見櫓のPRをまず見据えたもので、各地の城をめぐってきた淳さんの視点から、福山城の誇るべき魅力を発信しているのでしょう。
数多ある城のなかで、どのような特徴が価値を生むか、福山城に馴れ親しんできた者には気づきにくいこともあります。
名誉城代が淳さんの活動の一端に加わり、福山城にまつわる建物や人物、産業のどんな魅力を掘り起こしてくれるのか期待が高まります。
田村 備後守(びんごのかみ)淳 名誉城代の等身大パネルや福山城PR動画は、福山城博物館やJR福山駅で見ることができます。
城好きタレント・田村淳さんが勧める城めぐり
田村淳さんの城めぐりのポリシーは、天守以外にも石垣や堀などを含めた、(城郭)全体で城を楽しむというもの。
敷地エリアに一歩足を踏み入れたその瞬間から城めぐりは始まり、城を攻める兵(つわもの)の境遇に立てば、さまざまな防御手段に関心が湧いてくるのだとか。
また現代の目では見落としがちな意外な細部に、城主の権威が潜んでいることもあると語っています。
いまを生きるわたしたちは、無意識に城を軍事拠点であったことから切り離しているため、一際目を引く天守以外の建物に興味が湧かないということもあるでしょう。
城めぐりの際は、心しておきたいアドバイスです。
福山城 伏見櫓の意匠と歴史
福山城本丸の南西に伏見櫓はあります。
伏見城から移築された三重櫓は、江戸時代には武器庫の役割を果たしていました。
屋根の四方に入母屋破風(いりもやはふ)を、二層目屋根の南北には千鳥破風(ちどりはふ)を具えた美しい装飾。
一、二階の外壁意匠(デザイン)の「真壁造(しんかべづくり)」に対し、三階はすべての柱・長押を塗りこめた大壁造(おおかべつくり)という特徴がみられます。
真壁造とは、柱形(はしらがた)や長押(なげし)を漆喰で塗り出した古式の意匠。
城郭建造物の意匠としても希少であることから、福山城の移築建物のなかでも別格と評されています。
- 破風(はふ):屋根の妻側にみられる造形
- 入母屋破風(いりもやはふ):屋根の両端部に付属した三角形の破風
- 千鳥破風(ちどりはふ):屋根の流れ面を起こした三角形の破風
- 長押(なげし):窓の上下に渡した水平材
福山城には築城に際し、公儀(幕府)より御助金のほか、伏見城の御殿・各御門・各櫓・御風呂・練塀が下賜(かし)されました。
二代将軍・徳川秀忠(とくがわ ひでただ)は、父 家康(いえやす)の再建した伏見城の遺構(残存する建築物)を福山城主・水野勝成に(みずの かつなり)惜しみなく与えたことがわかります。
解体された遺構は瀬戸内海を渡り、福山の地で組み立てられると、新しい巨城に豪華絢爛(ごうかけんらん)な桃山文化の箔を付けました。
その移建された遺構のひとつが伏見櫓です。
1873年(明治6年)廃城令による取り壊しを回避すると、1933年(昭和8年)には国宝指定に。
1945年(昭和20年)の福山大空襲では、最大の危機に見舞われましたが運よく戦禍を免れ、1950年(昭和25年)、筋鉄御門とともに重要文化財の指定を受けます。
伏見櫓が福山城に移築されるまで(前史)
1592・93年(文禄元・2年) | 指月山に豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の「隠居座敷」を建築 |
1594・95年(文禄3・4年) | 豊臣秀吉が屋敷を大改修し「豊臣期指月城」を築城 |
1596年(慶長元年) | 大地震「慶長伏見地震」により倒壊 |
1596・97年(慶長元・2年) | 指月城北東の木幡山に新城「豊臣期伏見城」を築城 |
1598年(慶長3年) | 豊臣秀吉が死去し、徳川家康が入城 |
1600年(慶長5年) | 関ヶ原前哨戦により焼失 |
1600~02年(慶長5~7年) | 徳川家康が木幡山に「徳川期伏見城」を再建 |
1619年(元和5年) | 廃城の後、建物は福山城、二条城、淀城などに移築 |
福山城 伏見櫓の特筆すべき魅力
福山城が築かれた近世の城郭を大別すると、曲輪の四隅に建つ「隅櫓」と、虎口(出入口)の防御を高めるために門と一体化した「櫓門」の2種類があります。
また天守と同じように望楼型(ぼうろうがた)、あるいは層塔型(そうとうがた)があり、二重櫓が標準サイズです。
福山城 伏見櫓にはどのような特徴があるのでしょうか。その魅力とともに紹介します。
伏見城移築の動かぬ証拠
伏見城からの移築建物だという伝承は、日本各地に残っています。
しかし現在まで福山城 伏見櫓のほかに、その裏付けとなる文献や刻字をもって立証された例はありません。
それが証明されたのは、1951年(昭和26年)におこなわれた改修工場での発見の際。
二階の梁に刻まれた「松ノ丸ノ東やく(ら)」という文字(陰刻)が、なによりの証拠となりました。
いまや国内の城郭史研究において、福山城 伏見櫓はきわめて重要な建物に位置づけられているのです。
伏見櫓にみられる(三重櫓)最古級の建築様式
伏見櫓の造りは「望楼型三重三階」。
下から一番目と二番目、初層と二層が同規模の「総二階造」と呼ばれる構造。
その上に、独立構造をもった小さな望楼が乗っていることから、慶長初期の建築様式を残す望楼型の櫓といえます。
大きな特徴としては下部二層は東西に棟をつけ、それに対し、三層は南北に向く入母屋屋根をつけていること。
現存の三重櫓12基のなかで、福山城の伏見櫓は、熊本城の宇土櫓と最古級にならぶ櫓です。
- 望楼(ぼうろう):遠くを見渡す役割の櫓
- 入母屋屋根(いりもややね):上部が切妻屋根の形、下部が寄棟屋根の形をもつ屋根
優美な曲線をえがく櫓台の石垣
櫓台の石垣は、とくにその角に注目してください。
直方体の石材の長い辺と短い辺が、交互に組み合った「算木積み(さんぎづみ)」です。
石垣が描く美しい勾配は構造の強化とともに、防御効果を上げています。
福山城内でも伏見櫓の勾配の美しさは随一とされ、全国レベルでも比類のない完成度を誇る石垣です。
間近に感じられる工匠の高い技工
櫓内の梁や柱には、鉋(かんな)や手斧(ちょうな)などの工具で加工された大小さまざまな痕跡を見られます。
数百年前の工匠たちの技巧の高さや、その作業の速やかさがありありと想像できる生々しい加工痕を残しているのです。
赤外線撮影で発見された多くの墨書
伏見櫓の国宝指定を目指すなかで、昨年、福山市は赤外線カメラによる櫓の内部撮影をおこないました。
梁や柱などに、それまで読み取れなかった250か所以上の墨書を確認しています。
解体された部材を組み立て直す際の目印となる番付のほかにも、憲兵らしき絵も見つかりました。
今なお謎を残す古材転用と建造年代
多くの古材が転用されているのも伏見櫓の特徴です。
しかし元の建物が何であったか、いつ建てられたものかは不明。
天守からの転用といわれても疑いを差し挟まない一尺越えの柱もあることから、かなりの規模だったことを推しはかれます。
古材が惜しみなく使われた梁や柱が複雑な様相を呈し、個性的な生き物のように見えるのもユニーク。
お城博士・千田嘉博さんも推す福山城 伏見櫓
城郭考古学者の千田嘉博(せんだ よしひろ)さんは、「伏見城ブランド」という表現を使って、伏見櫓の存在感を説明しています。
伏見城からの移築建物は、当時、周辺の西国大名にとって、公儀(幕府)のうしろ盾が読み取れる畏怖の対象でした。
だから福山城築城時に城下町を見下ろす本丸南側へ、伏見櫓や湯殿などの移築建物をずらりと建てならべ、圧倒的な威圧感をあたえたといいます。
伏見城ブランドとは、言い得て妙です。
伏見櫓は建物のもつ美しさだけでなく、その背景のブランド力に注目すると、福山藩(徳川譜代)の統治戦略がよくわかるのではないでしょうか。
おわりに
最新の福山城では、おもに天守を舞台にした『福山ナイトキャッスル ~鬼日向の城~』が話題です。
エンターテインメント要素を盛り込んだ歴史フィクションを共有し、福山城や関連人物の知識を深める没入型演劇が好評のもよう。
そうした劇場型の公開は、伏見櫓では国指定の文化財ということもあり、まず実現しません。
しかし新作能『福山』のように、水野勝成の霊が現代の福山城に現れるとしたら、むしろ伏見櫓のほうではないかという、神妙なオーラに満ちています。
なにしろ徳川家康や豊臣秀吉といった日本史のレジェンドたちが、その肉眼で捉えた(可能性の高い)実物の櫓です。
受け身ではなく探究心や想像力を高めて、建物やその細部に向き合えば、そこから得られる驚きや発見があるはず。
華々しい築城イヤーが終わり、次に望まれるのは(福山城PRの二の矢)、そうした探求型の城めぐりではないでしょうか。
福山城伏見櫓 名誉城代就任記念公開のデータ
名前 | 福山城伏見櫓 名誉城代就任記念公開 |
---|---|
期日 | 通常は一般公開していません。 |
場所 | 福山市丸之内1丁目8番 |
参加費用(税込) | |
ホームページ | 文化振興課(福山市ホームページ) |