歌やダンス、演奏、演劇。
いずれも稽古を重ね、高みに達したライブのパフォーマンスに、心を動かされたことはありませんか。
なかでも演劇は、生身の役者同士がセリフを交わすことで、登場人物の内面にせまる物語を立ち上げられます。
この度福山で、中東の紛争地に生きる人々と国内ローカルを、演劇という架け橋でつなぐ公演『母と娘の物語 ハイル・ターイハ』が開かれました。
こうした公演は、一方で地方に演劇の受け皿となる、あらゆる資源が不足している現実を浮き上がらせます。
良質な演劇に触れたいという声がありながら、それに応えることが難しいローカル、福山の演劇シーンについて考え直す機会になればと思います。
記載されている内容は、2023年12月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
目次
『母と娘の物語 ハイル・ターイハ』福山公演
2023年(令和5年)11月11・12日、福山市西町のiti SETOUCHI「Cage」で、『母と娘の物語 ハイル・ターイハ』が上演されました。
同公演は、2009年 ユネスコ(国連教育科学文化機関)傘下の国際演劇協会(ITI)の日本センターがはじめた「紛争地域から生まれた演劇シリーズ」の一環です。
このシリーズでは、世界の紛争地域の戯曲を積極的に紹介しています。
今回の地方公演は、文化庁アートキャラバン事業として全国5か所で上演。
福山公演で主役の母親ターイハを演じたのは、地元出身の小林晃子(こばやし あきこ)さんです。
小林さんは、福山の演劇が注目されるきっかけにしたいと地元公演の実行委員を担い、福山市内で演劇活動をする4名も公演に参加しています。
演出は林英樹さん(はやし ひでき・総合プロデューサー)が務め、演者では、演劇集団キャラメルボックスの小林春世(こばやし はるよ)さん、中東民族楽器奏者の大平清(おおひら きよし)さん、舞踏家の相良ゆみ(さがら)さんらが脇を固めています。
擬古典形式で書かれた叙事詩劇
『母と娘の物語 ハイル・ターイハ』は、擬古典形式で書かれた叙事詩劇。
10~13世紀頃、アラブ世界に存在していたマカマート形式の口承文芸を継承する戯曲です。
現代的なストーリーとパラレルに格調の高い詩世界が展開し、豊饒なアラブ語り物文学を今に伝えています。
『母と娘の物語 ハイル・ターイハ』のあらすじ
ハイル(馬)という名の娘、クルド人とベドウィン族の間に生まれた母の名はターイハ(さすらい)。
娘ハイルは古くからの因習と現代的な生活のはざまで成長し、女性として自立していきます。
そうした母娘の姿を音楽や詩を全編に用いて描かれる朗読劇です。
グローバルな多様性のなかからシリアのアイデンティティを探る渾身の戯曲と謳われています。
クルド語を交じえたアラビア語で書かれた書籍は、2008年に出版されました。
2015年、パレスチナのイエス・シアターにより、アラブ演劇祭で初演されたカースィミー賞受賞作品でもあります。
「紛争地域から生まれた演劇シリーズ」とは?
演劇を通じて平和の構築を目指す取り組み「紛争地域から生まれた演劇シリーズ」は、世界各地の国際演劇協会(ITI)センターがおこなっています。
日本センターでは文化庁の委託事業として、2009年から同シリーズをはじめました。
これまで14年にわたり、紛争地の最前線のテーマを扱った、海外戯曲30作品をリーディングやトーク、戯曲集の発行を通じて紹介。
世界各地で起こった紛争に目を向け、同時代の政治・文化的状況に新たな視座をあたえることを目指しています。
さらに演劇の持つ問題提起の力を社会に示し、また演劇の調査研究と創作現場との連携協働を実現していく活動です。
小林さんは、紛争地域の戯曲について、福山は被爆地・広島に近いという土地柄から、暗い気持ちになるから見たくない人が多いかもしれないという声を聞いたといいます。
しかし今回上演する物語は、紛争地域で生きている人達の生活を垣間見られる戯曲。知らなかった人々や文化に触れるのは、純粋に面白い。
また有用な興味を持てる部分もあり、自分の中の知識や疑問や葛藤に対して、いかようにも捉えられる生きた教材になると感じたそうです。
本公演の3日後、小林晃子さんに会場となったiti SETOUCHIでお話をうかがいました。
小林晃子さん インタビュー
『母と娘の物語 ハイル・ターイハ』福山公演で実行委員を務めた小林さん。
20年ぶりに戻った地元は、演劇活動を続けようとするうえで、想像以上に厳しい環境といいます。
それでも公演を実現させるなかで、つかんだ演劇の可能性、個人の展望はどのようなものだったのでしょうか。
福山にUターン 地元でも演劇の道を
どのような経緯で、福山公演が開催されることになったのでしょう。
小林(敬称略)
福山にUターンしたのが今年(2023年)の4月で、そのタイミングですぐに挑戦できるお話をいただきました。
地元で活動していくに当たって、人脈を広げる機会になりますし、演劇へのモチベーションも上がっていた頃です。
しかし当初決まっていたのは、福山での開催以外に演目と台本だけで、会場や役者は未定でした。
目の当たりにした乏しい福山の演劇環境
福山で演劇公演となると、キャパシティの大きな場所しか思い当たりません。
小林
(2023年)2月の時点で会場を探すと、ホールはどこも予約で埋まっていて、福山の劇団に地元の演劇事情を聞いても、小劇場文化がないこともあって、適当な場所がなかなか見つかりません。
そんなとき「iti SETOUCHI」のサイトにたどり着き、実際に訪れると、白が基調のおしゃれなスペース「Cage」が公演のイメージに合うと直感し、劇中の舞踏も映えそうだな、と。
小林さんのほかに、福山の劇団員のかたも参加しています。
小林
まず今年(2023年)の夏に、東京から林英樹(はやし ひでき)さんを招いて、ワークショップを開きました。
人づてに告知をして、来ていただいたかた4名に依頼して、本公演の役者がそろいます。
演劇人口が圧倒的に少ないなかで、20~30代の意欲的なかたに出会えました。
福山の演劇事情はシビアといわざるを得ません。
小林
今回の来場者の役半数が、(今回の公演と同ジャンルの)演劇を初めて観たというアンケート回答でした。
準備段階で演劇環境の不備を感じて、実際に公演を観にきてくださるのだろうかと途方に暮れた時期もありました。
のちに矛先を変えて、まちづくりサポートセンターの交流会に参加したんです。そこで知り合いを増やしていったのが打開策につながりました。
2つの「I・T・I」に導かれるように
小林
iti SETOUCHIで会場の相談をしたときのことです。
福山電業株式会社 エリアマネジメント事業室の西谷天(にしたに てん)さんに演劇の経験があったことから、困難を察して、背中を押してくれたのはとても励みになりました。
会場が決まってからも伴走していただいて、「Cage」で夜間に5日間ほど稽古ができました。
国際演劇協会(ITI)の実績を評価していただいた部分もあると思います。
去年(2022年)、私がITIの同じ演目に出演したこともあって、小林春世さん(こばやし はるよ|演劇集団キャラメルボックス)を福山にお呼びできました。
そうした意味では、本格的な演劇を福山に届けられたという自負はあります。
また今回の経験を通じて、2つの「I・T・I」から偶然とは思えない巡り合わせを感じたのです。
翻訳演劇を演じることの難しさ
今回のように英語圏以外の海外脚本を演じるうえで、難しい点、気を付けている点はありますか。
小林
今回の脚本の翻訳に、3年ほど費やされたそうです。
手がけたのは翻訳家のかたではないのですが、(古典)原語の持つ文体の美しさを重視していて、時間がかかった理由がわかります。
一度聞いたのではわかりにくい部分はあるものの、他の演者とのやり取りを重ねていくと、味わい深い響きを感じます。
たとえを使ったセリフもシリアの文化にもとづいたもので、なかには口に出すのもはばかられる表現もあって、それが生々しくリアルです。
後半の畳みかける部分は、独特の高揚感があるなかで、見えてくる情景を汲み取って演じています。
去年(2022年)の娘役から今回は母親役演じて、違った視点を得て、作品への愛着が深まりました。
紛争が続くなか、自立しようとする一方で、抜け出せない因習もあるということが感じ取れます。
本作はあえて日常から(紛争状態の)危機感を描いていることが特徴で、そうした普遍性を持った母娘の物語でもあります。
語りに表情を持たせる
小林
作品はリーディング(朗読)という体裁なのですが、やはり読み聞かせとは違うんです。
その場の状況を説明しながら、ストーリーの当事者でもあるという語りの部分が難しい。
林さんの演出でも、重要なのは語りであり、それが世界を表すのだから、朗読そのものであってはならないという指導を受けました。
同じ語尾が続いても、どこを立たせるか、聴かせたいかという意識を持って、演じています。
日常に降りてきてくれる言葉がある
小林さんが個人的に感銘を受けた場面やセリフはありますか。
小林
私が演じたもう一人の登場人物、ムハンマド先生(ハイルの恩師)のセリフにこのような印象的なフレーズがあります。
「人生が複雑になったとき、愛に満ちた言葉で自由に生きていきなさい」
今の私の子育てにも、寄り添ってくれる言葉です。
第二次世界大戦後(シリア建国)からの話でありながら、現在の日常に降りてきてくれる言葉があるのはすごいと思います。
まちのイベントに演劇を組み込む
演劇の役割を広くアピールするためにおこなっている活動はありますか。
小林
公演以外には、演劇を各種イベントに結びつけようと模索しています。
最近では2023年11月19日に、まちづくりサポートセンター主催の文化祭のステージで出し物に参加させていただきました。
新団体「リーディング・ファクトリー」の登録を機に、まちサポにちなんだ脚本を私が書いて、3名で演じました。
公演を終えて、次なるステップへ
今回の公演を振り返って、またこれからの活動のビジョンを教えてください。
今回の2日間、3公演には100人ほどのお客さんに観にきていただきました。
難解と受け取られる面もありましたが、今やるべき演目だという意見もあり、福山で実現できたことの意義を感じています。
iti SETOUCHIは交通の利便性も高いですし、来年に向けてワークショップを提案したいと考えているところです。
劇作家、演出家、役者が足りない、福山の状況はすぐに変わらないので、演劇に関して個人でできることを広げながら、東京など外部の力も借りつつ、活動を継続していきたい。
もっと気軽に観られる演劇が、福山に増えるといいですね。
おわりに
福山市街で、昨今もっともエッジの立った場所ともいえるiti SETOUCHIの「Cage」。
このフリースペースで上演されたことで、演劇は型にはめられるものではないと暗に伝えているようでした。
会場によっては正統でない、宗教的と受け取られそうな演目が、福山では演劇ジャンルへの先入観が薄い分、語りや踊り、演奏の生み出す幻想的な世界観がストレートに届いていたのではないでしょうか。
人心がすさむような紛争の絶えない地域であっても、古くからの文化に敬意を失わず、豊かな想像力の中でシリアの人々は日々を生きている。そうしたことも感じました。
なにより小林さんの今後の活動が、演劇の辺境・福山に、どのような刺激をもたらすか期待が高まります。
『母と娘の物語 ハイル・ターイハ』福山公演のデータ
名前 | 『母と娘の物語 ハイル・ターイハ』福山公演 |
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期日 | 2023年 11月11日(土)午後1時開演/午後5時開演 11月12日(日)午後1時開演 |
場所 | 広島県福山市西町1丁目1-1 エフピコ RiM1階 |
参加費用(税込) | 一般:1,500円 |
ホームページ | 国際演劇協会日本センター「紛争地域から生まれた演劇シリーズ」15年記念 地域連携プロジェクト 特設サイト |
- インタビュー補助:山口ちゆき