福山市北部のまち、神辺(かんなべ)はショッピングモールなど利便性の高い商業施設が多く、典型的な郊外らしい一面がよく知られています。
一方で郷校廉塾(国特別史跡)、神辺本陣など歴史的価値のある文化財が点在する神辺宿エリアは、町外での知名度はそれほど高くありません。
そうしたなか、これまで神辺が推してきた近世以前の文化財に拘らない、地域が誇る有形無形の財産を「神辺遺産」として認定する取り組みが昨年(2023年)からはじまっています。
このたび開かれた神辺遺産の認定式(2回目)では、晴れて新たに4物件が発表されました。
鞆の浦などで知られる福山の歴史の一端を担い、古いまち並みが誘う郷愁、時代ごとの特徴が同居するおもむきに出会える神辺遺産の魅力、そしてその継承などについても紹介していきます。
記載されている内容は、2024年12月記事掲載時の情報です。現在の情報とは異なる場合がございますので、ご了承ください。
目次
知られざる地域推しの宝「神辺遺産」
2024年11月16日(土)、福山市神辺町の神辺交流館で「第7回 地域遺産フォーラム in 神辺」が、地域遺産フォーラム実行委員会(備後地域遺産研究会、神辺学区まちづくり推進委員会、神辺宿文化研究会ほか)の主催で開催されました。
そのなかで、昨年(2023年)に引きつづき「第2回 神辺遺産の認定式」がおこなわれました。
昨年は「天別豊姫神社」、「ハネ踊り(三日市上・後町/早王)」「旧菅波邸 Café anjin」の3物件が第1回の神辺遺産に認定されました。第2回神辺遺産に認定されたのは次の4件です。
神辺宿の特色と神辺遺産制度
中世に城下町としてさかえていた神辺は、江戸時代には参勤交代の宿場が西国街道沿いに設けられ、神辺本陣、廉塾および菅茶山(かんちゃざん)旧宅などの文化財が当時の格式をいまに伝えています。
同時にこの地は、近代以降の繊維産業の隆盛期まで、江戸〜昭和の変遷が町並みから見て取れ、住民による信仰やまつり、豊かな自然・景観などが四季折々の生活のなかにとけこんでいるのが特徴です。
神辺遺産認定制度は、「地域の人々自らが守り後世に伝え遺したいという地域の宝を、地域・住民が主体で定める認定制度」としています(神辺遺産認定委員会)。
新たに認定された神辺遺産
このたび認定要件を満たす物件が、神辺遺産選定委員会、調査委員会の審議、認定委員会の承認をへて、新たな神辺遺産として以下の4件がくわえられました。
認定No.4 廉塾バラ
国特別史跡の廉塾(ならびに菅茶山旧宅)の中門前に自生する庚申(こうしん)バラの一種。菅茶山が見ていたバラであるとも、古文書に残る漢詩などから推測されます。
「廉塾バラ」と地域住民が名付け、後世に継承すべく「廉塾バラを愛する会」を2024年3月に結成しました。
旧街道沿いや神辺駅前、地域の小学校など各所にその植栽が広がり、廉塾バラを通じて地域・住民自ら育て、守っていく機運が醸成されています。
認定No.5 高屋川の夕日
高屋川に架かる領家橋付近、鉄橋を走る井原鉄道と、早田荒神社(はやたこうじんじゃ)のムクノキ(市指定天然記念物)を背景に夕日が没みゆく光景は神辺の原風景のひとつ。
その見事な景観は、神辺町八尋出身の童謡詩人、葛原しげる(くずはら しげる)の作詞で名高い『夕日』を想起させ、夕日の里かんなべを雄弁に物語る視覚的イメージとして認定物件にふさわしいといえるでしょう。
自然現象である「高屋川の夕日」は継承主体を明確にできないため、「神辺人(かんなべびと)」という、神辺遺産の趣旨におおむね同意する(架空の)存在をその主体として設定しています。
認定No.6 胡神社(十日市・三日市・七日市)
江戸期神辺宿の三市にはそれぞれ祠(ほこら)がのこり、いまも年に一度の例祭がおこなわれ、三つそろって現代生活に馴染むようにまつられています。
祠は道路整備などで邪魔者扱いされながらも、修理や移設を重ねつつ、思いおもいの組織のやり方で継承され、同じ民間信仰の荒神社とむすびついて維持されているのです。
全国各地でさまざまに祭事が執りおこなわれ残存するも、その経緯は不明なことが多い胡信仰(えびすしんこう)。商売繁盛や家内安全、地域安全を願う人々によって広く親しまれています。
認定No.7 紅屋食堂
旧街道沿いの大衆食堂「紅屋食堂」は、1953年に現当主の先代が屋号と店舗を引き継ぎ、現在も営業されています。大正期から残る2階建ての蔵を改築した建物は、なまこ壁と白漆喰(しっくい)の建築は神辺宿の典型ですが、正面の窓配置はこちらの特徴。
古建築の存在可能性を示しながらも、創業以来変わらず名物の「中華そば」や「関東煮」が長年にわたって常連客を惹きつけ、地域の食文化を支えています。
神辺遺産の成果と展望(2022-2024)
2022年に福山市街が福山城の築城400年に沸いていたころ、神辺では地域の知られざる魅力を掘り起こそうという動きが起きていました。
それから2年が経過し、神辺の地域遺産にどのような成果や課題、展望が得られたのでしょうか。
神辺遺産の発掘に着手
ことの発端は2022年11月、福山大学建築学科の佐藤圭一さんが、神辺学区まちづくり推進委員会(松本正志委員長)主催の福山城築城400年記念事業のひとつ「まちなみ講演会」に招かれたこと。
そのプログラムで「『地域遺産』としての神辺宿」という演題の講演をおこないます。
神辺といえば、まずどうしても本陣や廉塾にスポットが当たるのですが、それ以外にも興味深いものがあり、指定登録制度に埋もれる空間を継承するための一策として、フォトコンテストによる遺産候補の募集をはじめました。
それら地域の隠れた遺産ともいえる古民家などの調査を通じて整理作業を続けるなかで、しだいに「神辺遺産」の実践へと実を結んでいくのです。
フォトコンテストに寄せられる地域の宝
「神辺の魅力再発見!フォトコンテスト 2024」のチラシには、「あなたが思う神辺(神辺エリア)の魅力、文化や歴史、街並み、建造物、自然、行事など自分が好きな神辺をおさめて、ご応募ください」という記述があり、地域住民の撮った写真の応募を広く呼びかけています。
地域の人々が発見した神辺の「守りたい残したい宝」は、フォトコンテストを通じて、神辺遺産認定委員会に間接的に報告される仕組みです。
神辺宿文化研究会・会長の重政憲之(しげまさ のりゆき)さんは、フォトコンテストに寄せられる作品から、神辺遺産が少しは日常に溶け込んできているのではないかと、その効果を感じています。
2年間に7件の遺産認定を実現
地域遺産には特に必要な条件が二つあり、一つは地域自らが主体となった残したいという意志、もう一つはそれを継承する担保となるコミュニティと佐藤さんは言います。
神辺のアイデンティティが失われていくという危惧(きぐ)の声もあるなか、現在までわずか2年の間に7件の神辺遺産が認定されたのは、住民が主体となった取り組みの順調な成果といえそうです。
広いエリアで地域遺産を捉える
一方で神辺とはどこか、なにをもって神辺とするか、という問いになかなか決定的な答えはなく、神辺宿、神辺学区、旧神辺町など想定されるエリアはさまざま。
折しも、福山市でも文化財の保存・活用に関して明確な区域割をおこなう必要はなく、柔軟に捉えるという地域計画が策定されていました。
神辺においても学区制に留まらず、多地域に広がっていくことを踏まえて、いまの「神辺遺産」になったと、神辺宿文化研究会の重政さんは言います。
第7回 地域遺産フォーラムのプログラムでも、そのテーマ「拡張する地域遺産」が示すとおり、地域的な広がりを想定したものでした。
砂留遺構や童謡詩人などを通じた地域活動しているかたの講演、座談会が組まれ、神辺の多様な魅力を共有する場となっていたようです。
継承を担う神辺人
地域遺産の課題のひとつは、次の世代に引き継ぐ担い手が、少子高齢化の影響でどんどん少なくなっていることです。
後継者不足は市街地から離れた人口の少ない地域であるほど深刻化していることが、今回のシンポジウムの座談会などからも感じとれました。
ところで、新しく神辺遺産に認定された「高屋川の夕日」という自然現象の継承を担う主体はどういう人(団体)なのか、と考えあぐねたとき、佐藤さんが発案したのが「神辺人(かんなべびと)」という架空の存在。
神辺遺産の趣旨に賛同しそれを継承する人を指し、神辺人と称するには地元の住民である必要はありません。
神辺というアイデンティティを守るために活動していく意志のある神辺人を増やすことによって、後継者問題の解決の糸口にもなりそうです。
消えゆく価値の流れにあらがう
いままさに消滅しつつある文化財は全国に数多く、それらすべてを食い止めるのはとうてい無理という状況下で、なにを基準に古民家などを残していけばいいのかという質問が会場から寄せられました。
そうした質問を佐藤さんはよく聞かれるとし、「いま目の前にあるもの、気づいたものは残す」と答えているのだそう。
それは残すべきものを精査している余裕はもはやなく、崩壊していく築数百年の建物を放置すれば、地域にとって少なくない損失となるからなのでしょう。
自走する仕組みづくり
神辺遺産の認定はまだはじまったばかりとはいえ、無目的にこのまま続けていくのはモチベーションの維持が難しいのも事実です。
また有形無形オールジャンルの神辺遺産は、対象の地域を拡張するにしても今後、あらゆる物件が浮上してくると予想されます。
そこで3回目の認定までに、運営者が誰に変わっても回るような仕組みをつくり、きちんと制度として整えていこうと考えているのだとか。
そして5年の継続あるいは50個の物件、どちらかを目標に据えて遺産認定をおこなうなかで、運営者の世代交代もできればという展望を描いているそうです。
おわりに
JR神辺駅の西口方面、川南地区では現在、市の基盤整備によって広い道路が敷かれ、新たな風景を見せつつあります。
しかし同駅東口方面、神辺宿エリアの住民主体による「神辺遺産」の動きはあまり目立つものではありません。
それでも神辺遺産のポスターを見かけたというかた、旧菅波邸 Café anjin(神辺遺産・2023年10月6日オープン)でランチやコーヒーを満喫したというかたもいるでしょう。
また遺産件数が増えることで、関係人口が地域と関わるきっかけとなる余白、いわば「関わりしろ」が拡がっている点も見逃せません。
神辺遺産の認定は、あたかも「神辺」という映像作品を制作するための「ロケーション・ハンティング(下見や下調べ)」のよう。絵になるロケーションの組み合わせしだいで、さまざまなストーリーが立ち上がっていくイメージです。
まれびと(第三者)からかんなべびと(当事者)へ、その視点を移し、神辺の未来像を見つめ直してみませんか。
第7回地域遺産フォーラム in 神辺のデータ
名前 | 第7回地域遺産フォーラム in 神辺 |
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期日 | 2024年11月16日(土) 第1部 シンポジウム(神辺交流館)午前10時〜午後12時30分 第2部 総合ディスカッション(Café anjin)午後2時〜午後7時 |
場所 | 広島県福山市神辺町3088-1 |
参加費用(税込) | 無料 |
認定:神辺遺産選定委員会